<後編>「育てる」から「育つ」へ 〜子どもが自ら育つ土壌を作るためにできること〜

「言われたことしかやらない」子どもに主体性を持たせるにはどうすればいいのか。サッカーの世界で長年に渡って育成に関わる3名の指導者が、“「育てる」から「育つ」へ”をテーマにそれぞれの思いを語った。自主性を養うために我々大人たちができることは? 白熱のディスカッション後編です。 

PROFILE

うばがい・ひでたか
1951年9月2日生まれ、兵庫県神戸市出身。大阪体育大学卒業後、読売サッカークラブで半年間プレーし渡独。ドイツでのプレー経験の後、引退後もコーチングを学ぶ。帰国後に大阪体育大学で指導者として活躍後、ジェフユナイテッド市原GMに就任。欧州での幅広い人脈から元日本代表監督のイビチャ・オシムら、優れた指導者を日本の橋渡し役として招聘した。日本人初のフランスリーグアンクラブのGMを務め、京都サンガF.C.、VONDS市原でもGMとしてクラブ強化に尽力した。
いしかわ・しんのすけ
1979年1月生まれ、東京都出身。 筑波大学第三学群工学システム学類在学中、 蹴球部に入部し、地域の小学生にサッカーを 指導。つくばFCの活動を引き継ぎ、2003年 NPO法人つくばフットボールクラブを設立、 2005年株式会社つくばFCを設立し代表取締役に就任。NPO法人日本サッカー指導者協会 事務局長、一般財団法人日本クラブユースサ ッカー連盟 事業委員長なども務める。
ふじわら・あきお
1958年5月25日生まれ、茨城県出身。筑波大学体育専門学群を卒業後、千葉県サッカー協会の要職及び県立千葉高校サッカー部監督を歴任し、2019年3月教職員を退職。 現在は、JFCA(日本サッカー指導者協会)セミナーダイレクターを務め、全国で開催しているJFCA主催の研修会、講習会の責任者として指導者の育成に従事している。/dd>

 

 

自然界の法則に目を向けると、人間の育ち方が見えてくる?

―― 土壌作りという言葉が出てきましたが、そのために大人はどのような知識や経験を積んでいくべきだとお考えでしょうか?

祖母井 ストレートに言うならば、日本のスポーツは人が育つ環境ではないと思いますね。私は最近土いじりを始めて、畑を作っている人と話したりするのですが、よく「雑草」って言ってしまうのですね。でも、雑草という草はなくて、それら1つひとつにはちゃんと名前があるのです。だけど雑草と呼ばれるものを排除して、野菜を作る農業になってしまっている。そのやり方は今の競技スポーツの考え方ですよ。上手い選手は守られて、そうでない選手は雑草のように名前も呼んでもらえない。そんな子どもたちがどれだけいるかを考えなくてはいけません。不要なものを排除して、美味しいものだけを作るのが、経済効率を重視した農業でした。その農業のやり方も徐々に変わってきています。私が今勉強している「協生」農法ではたくさんの種を撒いて、それを観察していきます。こうしたやり方は今の日本のスポーツや社会で起きている問題を解決する方向にぴったりだと思います。具体的にどうすればいいのかという「How」の部分は大変に難しく、私にもきちんとした答えはありません。私は今69歳で、頭の中は今までの知識や経験でガチガチに固まっています。これらをどんどん捨てていき、ゼロではなくマイナスにまでしなくてはいけないと思っています。若い大学生たちと話をしていて、昔の「祖母井」が出てしまってはいけないのです。本やコンピューターからの知識ではなく、私がどのように感じて、どのように考えたかを伝えて、その土壌から何が発酵するのか、あるいは発酵しないのかを見ていきたい。自然界の法則に学ぶ姿勢を大切にしていきたいと思っています。

藤原 僕も今年アメリカに行って、アロエが育つところを見るという経験をしました。そこの土壌はとても荒いのですよ。その荒い土壌からしっかり養分を取って、アロエは育ちます。もしそこに肥料を与えて過ぎてしまったら、かえってアロエは養分をしっかり取れなくなります。それは人間でも同じなのかなと思いました。指導者や親が先回りをして、何もかも用意し過ぎるのは、子どもたちにとってよくないのではないかと。子どもはさまざまなので、反応は1人1人違います。でも、それを無理に同じにしなくてもいいと思います。かつて日本は富国強兵のためにスポーツを利用して、目上の人の言うことをよく聞いて努力し、個を殺して全体に奉仕するタイプの人間を育てようとしました。それは経済発展のためには最適の人材を数多く作り上げることには成功しましたが、一方でスポーツを文化として楽しむという部分が抜けてしまった。勝つためにスポーツをする、あるいは健康のためにスポーツをするという考え方になってしまっていますね。そうではなくて、楽しむためにスポーツをする、そのおかげで健康になるって外国では考えますね。僕らは目的と手段が逆転してしまっているのかもしれないです。何かのためにスポーツをする、スポーツを通じて何かを達成する、そうした考え方はスポーツを画一的なものにしてしまいます。すると、そこで育つ人間もいるのですが、それだけではなく、そこからはみ出る人間も多くなってしまう気がします。その意味では、学校の体育も評価をなくした方がいいかもしれませんね。評価されると思うと、スポーツを楽しむより、良い点を取る方向に目が向いてしまいますから。

 

何かのためにスポーツをするのではなく、スポーツをすることで何かが生まれる

―― スポーツを楽しいものだから、それをやることによって、結果として主体性や多様性が育まれるということでしょうか?

藤原 そうだと思います。スポーツが好きで、楽しんでいるからこそ、そうしたものが2次的に出てくる。それがスポーツの内在的価値なのです。その内在的価値を違うものに歪めてしまうと、競争心とか憎しみとかプレッシャーだけになってしまう。それよりも、スポーツを一緒に楽しむことで人間性も健康も作り上げられていきます。健康のためにスポーツをするのだと言う風に考えると長続きはしないし、仲間も増えません。

祖母井 スポーツを水に例えてみると、水を土に撒いて、そこから何が出てくるのかは分からない。それがこれからのスポーツのあり方ではないかと思います。それを皆でやるのです。リーダーに指示されて動くのではなく。まず集まって一緒に汗をかく。そこから何かが生まれてくるのではないでしょうか。そのためには、スポーツをする場所に、たまり場のような環境が必要になってきます。サッカーなら、試合を終わった後にビールを飲んで話すとか、ジュースでもいいですけど(笑)。そこから自然発生的に生まれてくるものを大事にしたいですね。

 

大人も子どもも一緒に育つ

―― 子どもたちが来たくなるような環境を大人が作ってあげて、そこからは子どもたちに楽しんでもらえば、そこから学びや発見も自然に出てくる。そこに大人が助けてあげればいいのでしょうか?

祖母井 私は大人と子どもと言う風に分けて考えたくないのですよ。子どもではなく、1人の人間として接していきたい。一緒に育っていくわけですから。子どもは素晴らしい考えを持っているのに、それが聞こえてこないのは、大人と子どもに線を引いてしまっているからだと思います。

石川 お2人のようなベテランの指導者の方は、たくさん経験がおありで、そのようなお考えになったのだと思います。クラブ経営者の立場からすると、そのような指導者をどうやって評価していったらいいのか悩みますね。どうしても試合に勝たせる指導者が評価されますし、指導者もそちらを目指してしまいがちです。どうしたらいいのでしょうね。

祖母井 私も競技スポーツとしてのサッカーにずっと関わってきました。でも人間としてのベースが重要なのですよね。1つのことにとらわれ過ぎると、他のものに目が向かなくなってしまいます。だからなるべくたくさんのことを経験したらよいと思いますね。

藤原 スポーツを楽しむ土壌が日本にはあまり作られなかった。僕が今やろうとしているのは、色々な年代の人が一緒に楽しむことができる場を作ることです。その楽しむという部分が土台になって、そこから競技選手になる人も出てくる。そんなことをやってみたいです。

石川 お2人のような指導者と勝利を目指すことや技術指導に熱心な指導者をどのように評価するのかは本当に難しいのですが、経営側も変わっていかなくてはいけないなと思いました。

 

―― スポーツは世代を越えて人が集まる地域コミュニティの受け皿になる、なるべきだということかと思います。本日は貴重なお話を誠にありがとうございました。最後に皆さんから参加者の方へ一言ずつお願いします。

藤原 「スポーツは育てるものだ」というオシムさんの言葉があります。僕はこの言葉が大好きで、学校を移るときに最後の授業では生徒たちにオシムさんへの返事を手紙に書いてもらっていました。それを読むと、自分も勉強することがたくさんあります。これからも皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。今日はありがとうございました。

石川 今日は藤原さんと祖母井のとても有意義なお話を聞かせていただいて、大変勉強になりました。どうもありがとうございました。

祖母井 藤原さんの思いや私の思いとかを感じてくれる石川さんのような代表者が必要だと思いますね。そうでないと組織はそちらの方向には行かないですから。リーダーが世の中やスポーツをどう捉えているかがとても重要になってきます。本日はどうもありがとうございました。またよろしくお願いします。

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