INTERVIEW

<前編>山縣亮太選手が語る
プロセスを楽しむ
「逆境を克服する」思考法とは?

PROFILE

山縣亮太(リオ五輪 4×100mリレー銀メダリスト)

1992年生まれ、広島県出身。小学校4年生から陸上クラブで本格的に陸上を始める。修道高校2年時の2009年世界ユース陸上競技選手権大会では100mで4位入賞し、メドレーリレーでは銅メダルを獲得した。慶応大学在学中の2012年にロンドンオリンピックに出場、準決勝進出を果たす。4年後のリオデジャネイロオリンピック男子100m日本代表にも選出され、男子4×100mリレーでは銀メダルを獲得した。セイコーホールディングス社員。

 

失敗への恐怖、ライバルの存在……スポーツをしていると多くの逆境に立たされることがあります。どんなプロフェッショナルでも、壁を乗り越えてきたからこそ、今の活躍があるのです。2012年のロンドン、2016年のリオデジャネイロと、2大会連続で100mでの日本選手のオリンピック記録を更新してきた陸上短距離界のエース、山縣亮太選手も例外ではありません。長い競技生活の中で、いくつもの困難に直面しながらも、それを乗り越え大きなレースで記録を残してきました。彼はどのようにして「“逆境”を克服するチカラ」を身につけることができたのでしょうか?

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山縣亮太を陸上へ導いたものは
「結果を出すことの喜び」

ーー山縣選手が陸上に出会ったきっかけはなんでしょうか?

「広島市のかけっこ大会で兄が賞状をもらって褒められてるのを見て、うらやましくなったんです。それで『俺も来年出るぞ』ってモチベーションで始めたのがきっかけですね。正直最初は全く興味なかったんですが、結果を出したら家族にほめられるのがうれしくて。それでもまだその時は、陸上を本格的にやっていこうとは思ってませんでした」

 

ーーでは、陸上を本格的に始めたのはどんなときでしたか?

「小学4年のときに地元の陸上クラブの練習会にたまたま参加させてもらえる機会があったんです。そこで友達ができて、『ここ楽しいな』ってところから始まりました」

 

ーー家族や友人の存在が大きかったんですね。そこから陸上にのめり込んでいった理由は何でしょうか?

「足が速くなるための練習をやり始めて1年に1秒くらい、どんどん記録が伸びていったんです。それが楽しくて、達成感がありましたね。最初はもちろん右も左も分からなくて、やらされてるだけの練習だったんですが、それでも結果が出るとうれしくて。自分なりに少しずつ色んなことを考えていくようになりましたね」

 

ーー小学校から中学校に変わる時って、スポーツを変えやすいタイミングですよね。その時にスポーツを変えようと思ったことはありませんでしたか?

 

「中学校に入った時も、陸上部に入る気満々でしたね。野球もやっていたので少しだけ頭にはありましたが、やっぱり陸上一本で行こうという気持ちでした」

 

順位よりも自己ベストを。
挫折を乗り越えさせた気持ちのスイッチ

ーー山縣選手の「自己検証して、常に自分で考え、突き詰めていく」というスタイルは、いつ頃からでしょうか?

「初めて自分なりにトライアンドエラーを始めたのは小学校時代です。中学3年くらいから本格的になっていきましたね。陸上部のチームメイトと話し合って、練習のメニューを考えていました。陸上競技の専門誌の後ろのページにあるメニューを読みあさって、『400mの選手はこういうメニュー』とか『100mの人はこうアレンジしたら」という風にメニューを作っていたんですよ』

 

ーー中学3年のころは陸上がより楽しくなりましたか?

「そうですね。高校だと1600メートルリレー走(4×400m)が始まるので、インターハイに行きたいという目標をチームで持っていました。明確な目標ができてモチベーションが上がりましたね。練習は楽ではありませんが、自分達で考えた練習メニューをやって、結果が出てくることが楽しくて。ダメだった時もありますが楽しんでできたなって思います」

 

ーー山縣選手の言葉で「他の選手とではなく、過去の自分と比べて成長できたかどうか」というものがありますよね。この考えはいつ頃からあるんでしょうか?

「その考えは中学2年ですね。もっとさかのぼると小学5年の時に全国大会で8位に入賞して、そこから日本一になりたいっていう漠然とした目標を持っていました。でも中学に入って周りにどんどん速い人が出てきて、日本一が遠ざかって行ったんです。自己ベストは出していましたが、日本一を目指すのは現実味がないな、って中学2年で感じました。それで、『自己ベスト更新できたらそれでいいじゃん』と、去年の自分よりも速く走れるように練習を頑張っていこうと思うようになりました。中学3年になって自己記録が11秒24まで伸ばせて、陸上競技の専門誌の後ろの全国ランキングに載ったんですよ。40位くらいでしたが、もう一度全国を見ていいかもしれないって思ったんです。そこからはまた日本一を目指して頑張れました」

 

ーー日本一を目指した矢先に挫折があったんですね。挫折から気持ちの切り替えができた「スイッチ」は何でしょうか?

「リレーでも全日中(中学生の陸上全国大会)に出たいという、チームとしての目標があったことですね。中学2年は苦しい時期でしたが、チームの目標があったから頑張れました。日本一という順位の目標って、どうしても叶えるのが難しいですよね。結果的に1~8位の順位が付いてしまうから、日本一になれるのは日本で1人しかいません。初めて9秒台を意識したのも実はこの時でしたが、『競技人生の中であと1.5秒縮められたら9秒台じゃん』って思ったんです。小学校で陸上を始めてから中学2年までで、1年に1秒くらい縮められました。あと1.5秒で日本記録だって思ったら、これはやればできるんじゃないかって気持ちになったんです(笑)。だから、日本一っていう順位にこだわるよりも自己記録を縮めていく方に考えをシフトできました」

 

ーー周りを気にせず、自分を極めるってことですね。

「そうですね。今でも順位よりもタイムを大事にしていますが、そういうところから来ています。その方が自己肯定感を得やすいし、自分を高みに持っていきやすいと思います」

 

最後にスタートラインに立つのは選手だけ。
自分なりに考えることが大切

ーー現在は技術的なコーチを付けず、ご自身でトレーニングされてますよね。「教科書を見てしまうと、それ以上成長がなくなってしまう」ともおっしゃっていたと記憶しています。

「どう思ってその発言をしたのか思い出せませんが(笑)。でも、やっぱり自分の頭の中にある情報を使って、自分なりにアレンジしていくことも大事だと考えています。例えば「こういう風に走りなさい」って言われたときに、なぜそうしなくちゃいけないのか自分で分かっていないといけません。そうでないと、最終的に自分だけで先に進んでいけないんです。ただ言われた通りにするだけじゃなく自分でかみ砕くことで、自分の中で整理できて吸収しやすくなります。そういう意味では、常に自分で考える環境に身を置いた方が、最終的にはより成長できると思います」

 

ーー自分で考えることの大切さは、色々なスポーツで言われてますよね。

「そうですね。最後は選手1人で走らなければいけません。その時に結果を出せるように、常に色んな状況でも臨機応変に動けるよう、考えるべきです。例えばオリンピックのスタートラインに立った時なら、グラウンドの状況、天気、風向きなどを見てどんな走りをするかイメージします。そうするためには、自分のことを良く知っておかないといけないと思います」

 

ーー「オリンピックのような大きな試合だけに賭けるよりは、目の前の試合に全力を出すべき」ともおっしゃってますよね。

「オリンピックが大事なものというのは大前提ですが、結果がどうなるかは本人にも分からないわけです。だから、『絶対にここで結果を出してやるんだ』という気持ちは過度なプレッシャーになってしまいます。それよりは、目の前の試合でまず全力を出すことに集中した方が良いと思います」

 

ーー釣りが趣味とうかがっています。オフの時間も大事にされてますよね。

「釣りは好きですね。ただ、釣りが上手いと誤解されそうなのでそろそろ言わない方がいいかなと感じてます(笑)。釣れても釣れなくても楽しいですね。リフレッシュ手段として、競技と切り離して考えられる時間も大切です」

 

――後編につづく――

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