INTERVIEW

東京五輪ホッケー女子代表FW&
Jリーグ得点王が考える
「目標設定とモチベーションの高め方」
佐藤寿人×永井友理
-後編-

高い壁を超えるためには、確固たる「目標設定」と「モチベーション」の維持が必要となるが、両者はどちらかが欠けると成立しない両輪のような関係性がある。今回は、Jリーグを代表するストライカーとして活躍した元サッカー日本代表の佐藤寿人さん、そしてホッケー女子日本代表で東京五輪への切符をつかんだソニーHC BRAVIA Ladies所属の永井友理選手のクロストークをお届けする。ともに点取り屋としてチームをけん引し、きょうだいが同競技のトップ選手、という共通点も多い二人に、目標設定とモチベーションの関係について聞いた。

 

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「他責思考」は、目標を狭める要因に

――永井さんも、他人と比べてしまうことはありますか?

永井 自分も本当にそうで、子どもの頃から「妹の方が上手い」とずっと言われ続けて来ました。何かにつけて「妹より上手くならないといけない」という思いで、20年位過ごしてきてしまって。そういう考えから一度離れようと思い、スペインに留学しました。その時に、自分らしくやることはすごく大事だなと改めて分かりました。先ほど寿人さんも言っていましたが、「自分に矢印を向けていなかったな」と改めて再認識できたのです。その留学が私にとってはひとつの起点となっていて、今は自分と向き合うことが常にできています。

 

――「自分に矢印を向けていなかった」というのは、誰かのせいにしてしまう「他責思考」ですよね。それを排除して自分に矢印を向けることで、自分の成長に必要なものが見えておのずとモチベーションにつながる。冒頭で兄弟姉妹が同じスポーツをやることの良さをうかがいましたが、実際には比べられる辛さの方が大きかったのでしょうか?

永井 そうですね。最初に代表入りしたのは16歳の時ですが、大きなミスをして日本代表の監督に「お前より妹を選べば良かった」と言われたことがあって。

佐藤 それはキツイですね(笑)。

永井 それを言われてから、ちょっとひねくれたというか、しばらく妹と距離を開けてしまって。妹が悪いわけではないので、申し訳ないなとは思っていたのですが。自分自身としっかり向き合えていなくて、目標も「妹より上手くなる」みたいな変な感じでした。「姉妹あるある」なのかもしれませんが、そういう経験を乗り越えて今ここにいるので、ある意味すごく勉強になりました。今回代表に入れてもらえたのも、そういうことがあったからなのかなと思います。

 

――「妹より上手くなる」という目標設定が続いたのですね。そこから目標設定が変わったきっかけは何だったのでしょうか?

永井 やっぱり、スペインへの留学が大きいと思います。スペインでは、まだまだホッケー界はメジャーじゃないので。日本では私達の家族を知っている方が多いものの、スペインに行った時は私のことを誰も何も知らないまっさらな状態。自分のプレーだけですべて評価される世界でした。良くも悪くも自分の責任でできるという環境でやったおかげで、吹っ切れたのです。純粋にホッケーを好きだから上手くなりたいという気持ちが強くなり、妹と比べることを忘れていました。そこから目標設定が変わりましたね。留学前は、妹がいて色々言われるからできない、みたいに言い訳していたのだと思います。すごくしょうもないことをしていたなと、今思えば反省しています(笑)。

現役時代は個人として、チームとしての目標設定を達成することに苦しんだという佐藤氏/Getty Images

 

――佐藤さんも、お兄さんとの苦労エピソードはありますか?

佐藤 僕が初めて日の丸を付けたのは、16歳の時です。たまたま追加で呼んでもらったのですが、兄はそこに呼んでもらえなくて。それで、兄が若干距離を置き始めましたね。僕はなんとも思っていませんでしたが、その頃が一番距離がありました。プロになってからは「一緒に活躍しよう」という形で、お互いに支えていきました。年齢を重ねていくほどに、いい理解者になりましたね。

 

――永井さんも、妹さんは良きパートナーですか?

永井 今となってはそうですね。ここ一、二年位でやっとLINEを普通にするようになりました(笑)。

 

高い目標設定が、モチベーションの向上につながる

――お二人はチームのキャプテンを務めながら、一選手としても結果を出さなくてはいけない大変さをご経験されていますよね。チームとして、個人として、という二つの目標設定。そのバランスはどうお考えでしょうか?

永井 チームの目標設定が高ければ高いほど、個人の目標設定も高くなります。私は昨年キャプテンを一年務めたのですが、「高みを目指さなくてはいけない」というのがプレッシャーになってしまって。チームを高めながら、自分のプレーも一緒に高めるのは難しいなと感じました。チームメイトのサポートに意識が行き過ぎてしまうと、自分のプレーがおろそかになってしまう。そこは昨年悩んだ所ですね。今は原点に戻って、フォワードという自分のポジションで皆を引っ張っていくことを考えています。言葉じゃなくて、プレーで見せる。そんな選手になることを目標にやっています。

佐藤 フォワードがキャプテンをやるのは、難しいですよね。得点を取る役割が大きいから、ゴール数という明確な結果で評価されてしまう。結果が出ている時はいいのですが、結果が出ないと同じように振る舞っても説得力が出ません。自分自身のゴール数も2010年は肩を怪我したこともあって10点、2011年が11点。キャプテンだったのですが、ゴール数が減ってしまい説得力がないなと思って。2012年のシーズンが始まる時に、森保監督に「キャプテンを辞めたい」と相談しました。すると「自分も新しく監督をやるから、キャプテンを続けてチームをまとめて欲しい。ただ、自分のプレーに集中していいから」と言っていただけたのです。そこでもう一度、キャプテンを務めながらフォワード、ストライカーとしても責任を背負いたいなと思えました。その経験は良かったですね。

 

――チームに必要な人材が移籍したり怪我したりすると、チームのモチベーションが低下してしまうことはありませんか?

永井 私が所属している「ソニーHC BRAVIA Ladies」は常勝チームで、ずっと勝ち続けていました。でも、昨年は一度も優勝できなくて。最初に負けた時から選手の顔色も悪くなり、副キャプテンだった子も怪我してしまい、チームのモチベーションが下がっていました。その時はどうしたらいいか分かりませんでしたが、今思えばプレーで見せるべきだったなと思いますね。結局、どんないい言葉をかけて後ろでサポートしても、チームのモチベーションを高めることにはつながりませんでした。

 

――なるほど、経験したからこそ分かることですよね。佐藤さんはいかがでしょうか?

佐藤 サッカーもホッケーも同じだと思いますが、フォワードはゴールをどう奪うか逆算します。たとえば、どの位置でどうシュートを打つか。そのためには、どうやってボールをつないでいくか。でも明確な目標が持てていないと、そういった逆算はしづらいのです。自分達のチームに強みがあれば、それをより高めようというモチベーションにつなげられますが、それがないと難しいですね。僕自身も広島で優勝した時は、やはり優勝への思いが強くありました。名古屋に移籍した時も、「一年でJ1に戻りたい」という明確な目標があったので、モチベーションの維持に苦労はしませんでした。ただ、キャリアの最後で千葉に戻った時に、本当の意味でJ1に戻るという目標をチームで共有できなくて。団体スポーツなので、一人だけが強く発信しても、うまく全員の思いがそろいません。選手だけではなく指導者やフロントスタッフ、サポーターの方々、皆の思いがそろって初めて上手くいきます。目標設定とモチベーションは相通じるものがあります。目標を強く持てれば大きなエネルギーを生み出せますが、逆にそこがぼやけてしまうとモチベーションを保つのが難しいのです。

フォワードとしてチームメイトに「プレーで見せる」という永井選手。常勝軍団のキャプテンとして目標設定は常に高いところを目指しているという/Getty Images

 

――目標設定をチーム全体で共有することの難しさですね。永井さんも、チームの目標設定で苦労したご経験についてお聞かせください。

永井 目標が高いと、その分うまく行かないことも多くなります。昨年私のチームが勝てなかった原因も、目標が高すぎたことが大きくて。ホッケーだとサッカーのような世界対抗戦みたいなものがなくて、日本の中で全タイトルを取るのが最終目標。でもソニーは何回もそれを達成しているから、その先がありません。だから、私はチームメイトに「世界にも対抗できるチームにしたいから、大きく変えたい」と話しました。それを実践した一年目で全部勝てなかったのですが、最初に負けてから修正できなかったのは反省点で、キャプテンとしての責任を感じます。だからこそ、今年はその経験を活かして勝たないといけない、というモチベーションで今はやっています。

佐藤 極める先がない、というのは難しいですね。

永井 やっぱり、自分でも納得いかなくて。このホッケーをやって国内で勝ち続けて、子ども達が見た時に「すごい」と思えるのかな、という疑問がありました。それを変えたくて、「ホッケーって楽しくて、こういうプレーがあるよ」というのを見せたい思いで、目標設定を高くしたのです。ただ、それをやりたいという気持ちがモチベーションを保つ秘訣でもあったのかなと思います。

 

――その高い目標がクリアできるようになると、世界で戦える日本代表が出来てきますね。

永井 一番強いチームが先導していかないと、後ろのチームもついて来ません。正直、日本代表が世界で勝てないのはずっと経験していて、ここから変えていかなければと思っています。

佐藤 日本サッカーも昔は、弱者がやるようなカウンターサッカー。それを変えてきたからこそ、世界で通用するようになってきたのです。誰かが課題に気づいて、変えていくことが大事。トップチームが率先して引っ張らないと、スポーツカテゴリーのレベルも世界基準になりません。そういう意味では、組織や団体それぞれの目標設定も重要です。

 

将来につながる、スポーツでの目標設定や課題解決

――オリンピックという本番も控えていますが、これまでのスポーツ人生を振り返るといかがでしょうか。スポーツをやってきたことで身に付いた、学べたと思うのはどのようなことでしょうか?

永井 それこそ、目標を設定してそれに向かっていく、努力し続ける力というのはスポーツをやってきたからこそ身に付いたと思います。これから現役を引退して違うことをやるとなった時にも、その力が役に立つんじゃないかな。ホッケーは団体スポーツで、自分一人でどうにか出来るものではありません。皆の力が合わさって大きな力が生まれるのを、今まで何度も体感してきました。一つの目標に全員が向かって、その先にある素晴らしい喜びも、スポーツを通して経験出来ました。

佐藤 そういう経験は大事ですね。好きなスポーツをやりながら、自然とそういう力が身に付くのは大きいと思います。そして僕がスポーツで一番いいなと思うのは、どうすれば今の自分よりも良くなるのか考える力。答えを自分で探しにいったり、時には指導者の言葉に耳を傾けたり、色んな経験ができる。僕は引退してから子ども達にサッカーを教えたり、5歳の息子とサッカーしたりします。その時に、課題を出してどうやって成功させるか本人なりに考えてもらうのです。そのやり取りも、スポーツの経験があるからこそスムーズに出来るなと、今感じていますね。

 

――最後に、皆様へひと言ずつお願いします。

永井 今日は、この場をお借りしてお話させていただきありがとうございました。ちょっと緊張して不慣れな部分もあり、すみませんでした。実は寿人さんのファンで、YouTubeでシュートを見ることもあります。カミングアウトみたいになってしまいましたが(笑)。尊敬している選手だったので、この場で一緒にお話させていただき本当に嬉しかったです。自分にとっても、すごく勉強になりました。これからオリンピックに向けてすごくいい準備ができるなと思ったので、感謝しています。ありがとうございました。

佐藤 オリンピック前の忙しい中、永井さんには時間を作って僕の連載にご参加いただき、ありがとうございました。今日参加していただいた方々にも、色々学ぶきっかけになった言葉が多かったと思います。僕はサッカーを色んな形で伝える、指導する側にいますが、ホッケーもサッカーと似ている部分が多くて。より多くの方にホッケーを見ていただいて、さくらジャパンに注目してほしいと思います。そして、オリンピックで永井さん、妹さん、弟さんがしっかり活躍するのを皆楽しみにしています。皆が望む形でオリンピックが開催されて、活躍されることを応援しています。今日はお忙しい中ありがとうございました。

 

PROFILE

佐藤寿人(元サッカー日本代表)
1982年生まれ、埼玉県出身。2012年にサンフレッチェ広島をリーグ初優勝へ導く原動力となり、その年JリーグMVPとJリーグ得点王を獲得。通算J1リーグ得点数は歴代2位。 2020年シーズン限りでの現役引退を発表した。3男の父。
永井友理(ホッケー女子日本代表/ソニーHC BRAVIA Ladies所属)
1992年生まれ、岐阜県出身。 父はリオ五輪のホッケー女子日本代表の監督、母は元日本代表選手というホッケー一家に育つ。岐阜県立岐阜各務野高校を経て、東海学院大学短期大学部を卒業し、ソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズに所属。2014年、2015年には、スペイン1部リーグ、レアルソシエダでプレーする。2016年リオ五輪にホッケー女子日本代表として出場。妹・葉月選手もホッケー女子日本代表の司令塔として活躍。
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