INTERVIEW

<前編>
【サッカー×水泳(アーティスティックスイミング)】
越境スペシャル鼎談
アスリート≠スーパーマン論 「不安があるから人は強くなれる!」

PROFILE

名波 浩
1972年11月28日生まれ、静岡県出身。清水商業高校、順天堂大学を経て、1995年にジュビロ磐田に入団し黄金期を築いた。フランスW杯で10番を背負うなど、長らく日本代表を支えた。現役引退後は、テレビ出演やジュビロ磐田の監督を務めるなど幅広く活躍。サッカースクールSKYのアドバイザーも務めている。
鈴木 啓太
1981年7月8日生まれ、静岡県出身。AuB(オーブ)株式会社代表取締役社長。東海大翔洋高校卒業後、浦和レッズに入団。浦和レッズやU-23日本代表でキャプテンを務め、16年のプロ生活をすべて浦和レッズで過ごす。2015年に現役を引退、AuB(オーブ)株式会社を立ち上げ、現職に就任。
青木 愛
1985年5月11日生まれ、京都府出身。8歳から地元の京都踏水会でシンクロナイズドスイミング(2017年より競技名がアーティスティックスイミングに変更)を始め、京都文教高1年より、井村シンクロクラブに所属し、井村雅代氏に師事。2008年、びわこ成蹊スポーツ大学で初の五輪代表選手として北京オリンピックチーム種目で5位に入賞。北京五輪後に現役を引退し、スポーツコメンテーターとして幅広く活動している。

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「ネガティブ」は「ポジティブ」に変換できる
大人が気づかせてあげられること

名波 本日はサッカー元日本代表であり、AuB(オーブ)株式会社の代表を務める実業家でもある鈴木啓太さんとともに、スポーツが育むチカラについて迫っていきたいと思います。

鈴木 よろしくお願いします!

名波 小さい頃のエピソードから伺っていきたいと思いますが、ここからは普段通り「啓太」と呼ばせていただきます(笑)。幼少期、辛かった経験はありましたか?

鈴木 サッカーを始めた頃は楽しい記憶しかないです。名波さんと同じ静岡県の清水FCに所属していて、ほとんど休みがなかったですね。学校の少年団の練習で週5日、清水FCの練習で夜、土・日の週4日は行っていました。

名波 夕方まで少年団で練習して、夜は清水FCでほぼ毎日2部練習をしていたということ!?

鈴木 そうですね。ほぼ毎日母親がおにぎりを持ってきてくれました。車で夜の9時頃に帰ってきて、夕食を食べてすぐ寝るという毎日。その頃になると、流石に「楽しい」だけではなくってきましたね。

名波 僕も少年団でやっていましたが、冬は午後5時くらいに日没して暗くなっちゃうじゃないですか? だから親がグランドの横に車をつけて、ヘッドライトで照らして練習をできるようにしてくれていたんですよ。

鈴木 え!? ナイターの設備はなかったんですか?

名波 ナイター設備があるところは当時からありましたよ。でもお金がかかるじゃないですか? 親が協力してくれたんですよね。毎日車で送り迎えをしてもらっていました。啓太もそうだけど、親には感謝だよね。

鈴木 当時の僕は、そのありがたみの意味を分かっていなかったんですよ。今思えば、両親はとんでもない労力をかけてくれていたのだと思います。

名波 清水市はサッカーが盛んな地域ですが、憧れの選手はいましたか?

鈴木 それって、僕に「名波さん」と言わせようとしてます?

名波 いや、まあそうなんだけど(笑)。

鈴木 アッハッハ(笑)。でも、本当に僕が小学生の頃は名波さんのプレーを見て憧れていましたよ。あとは現在、北海道コンサドーレ札幌の社長を務めている野々村芳和さんから直接教えてもらっていましたね。僕が小学校低学年の頃はまだプロリーグが日本になかったので、静岡県の高校サッカーがすごく身近にあり、憧れでした。あと、小学校の先輩に長谷川健太(FC東京監督)さんがいて、毎年1月2日に「初蹴り」として小学校に来てくれていたんです。一緒にボールを蹴ってくれて、当時から憧れていました。

名波 啓太は中学校では東海大一中(現在の東海大学付属静岡翔洋中学校)に通い、居住している清水市から越境していたよね?

鈴木 僕が小学5年生の頃にJリーグが開幕し、新設された清水エスパルスのジュニアユースの試験を受けるか、地元の中学に行くか、父が通っていた東海大一中に行くかという状況でした。川口能活さん(日本サッカー協会アスリート委員会委員長)、高原直泰さん(沖縄SV株式会社CEO)という先輩がいたこと、自分は当時まだ身体が小さくて、技術を磨きたいという思いから東海大一中に行きました。

名波 小さい身体のコンプレックスを、どのようにモチベーションに切り替えていったのですか?

鈴木 周囲の大人が「いつか勝負ができる身体になる」、「焦るな」と言ってくれたのが大きいです。身体が小さくても、高校生の時に活躍できればいいと思えるようになりました。それに、早熟より遅咲きの方がいろいろおいしそうだと思って(笑)。

名波 僕は小学生の草サッカー の頃から47歳の今まで、ずっと対戦相手から「そいつ左足だけだから」って言われ続けてきた。第三者からネガティブなことを言われ続けて、子ども心にも辛かったはずなんだよね。でも、僕の啓太のように周囲の大人から「ずっとお前は左足でやっていればいいんだ」と言ってもらってた。高校時代のブラジル人コーチなんか、「お前が右足使ってたら、選手として魅力がなくなるぞ」って言くれて、それが一番心に響いているんだよね。

鈴木 それはすごいことですね。こんなことを言うのもすごく失礼かもしれませんが、名波さんと現役として対戦させたいただいた時に「左足をケアしておけばいい」と仲間から言われていたんですよ。でも、それを遥かに凌駕する左足で、結局全然止められなかったですよ。

名波 相手にそう思わせるモチベーションでやらないと、俺は大成しないと思ってやっていたからね。それに試合中に「そいつ右足では何もしないから!」って聞こえるように言われるんだから、失礼極まりないよ(笑)。

鈴木 そうですね(笑)。

名波 啓太も一緒だよね。遅咲きでいい、大人になってからでいいと思うと、心にも余裕ができるよね。

鈴木 大体ネガティブな要素って、ポジティブに捉えることができるんですよね。でもそれは子どもだけでは気づけないから、周りが言ってあげることはすごく大事だと思います。

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