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名波浩×鈴木啓太×青木愛│「不安があるから人は強くなれる」

超えてはいけない絶対的な上下関係? それとも同い年感覚!?
それぞれの先輩との距離

名波 青木さんは先輩が怖かったとおっしゃっていましたが、先輩後輩関係はどのようなものだったのでしょうか?

青木 私たちは練習が終わった後にビデオで演技を確認するんですね。それでスロー再生で見ると揃っていないことがはっきり分かるんです。だから先輩がスロー再生をしようものなら、後輩の私たちは常にドキドキでした。

名波 なるほど。自分ではちょっとズレているのが分かっているのですか?

青木 そうなんです。流れの中なら「バレへんかな」って思ってるんですけど、スロー再生でも見るとはっきりズレているの分かるので「ヤバイ!」って(笑)。

名波 青木さんが先輩になった時は、やはり後輩の映像を見て指摘していたのですか?

青木 日本代表などもずっと最年少で入っていたので、私はずっと年下のままだったんですよ。だからずっと言われる側でした。逆に先輩がズレている場合は「ごめんな」の一言で済まされて「ズルイ」!って思ってました(笑)。

名波 啓太はどうでした?

鈴木 高校までは先輩が怖かったですけど、プロに入ると元日本代表の岡野雅行さん(ガイナーレ鳥取代表取締役GM)とか包容力のある先輩方が多かったので、自分たちの意見を聞いてもらっていました。名波さんもそうですよね?

名波 そうだね。僕は上の先輩も全部タメ年と思って接していたからね。

鈴木 さすがですね(笑)。

名波 ゴン中山(中山雅史・アスルクラロ沼津)、武田修宏まではタメ。カズさん(三浦知良・横浜FC)からは神(笑)。ゴンちゃんとカズさんは年が一個違いだからね。だからカズさんと同い年の福田正博さんは「福田さん」。

鈴木 そんな区分けがあるんですね(笑)。

名波 青木さんにとって日本代表はどんな先輩がいましたか?

青木 もちろん怖いんですけど、オンとオフがはっきりしていました。練習は厳しいけど終わるとすごく優しい。でも、名波さんみたいに呼び捨ては絶対にできないです(笑)。

 

 

両親からの技術的なアドバイスを求めていない?

名波 青木さんは幼少期から水泳をやっていらっしゃいましたが、ご両親がビデオを撮ってくれていたのですか?

青木 父は小学生の時は試合に来てビデオを撮ってくれてましたが、中学生から母にバトンタッチして来なくなりました。なので父が試合を直に見に来たのは小学生の時と北京五輪だけですね(笑)。

名波 家でのコミュニケーションはどうでしたか?

青木 母は普段から見にきてくれているから、撮影した映像を見てアドバイスをくれるんです。でもアーティスティックスイミングをしたことがない人ですから、「もうこれ以上は言わないで」って途中からシャットダウンしてました(笑)。

名波 啓太はどうだったの?

鈴木 僕の両親も試合を見に来ていましたけど、基本は指導者に任せるというスタンスでした。たまにサッカーに対するアドバイスもありましたが、父親の言うことと、監督の言うことが違ってきて、青木さんと一緒で「ほっといてくれ」と聞く耳を持たない感じでした。名波さんはどうだったんですか?

名波 僕は4人兄弟の末っ子で兄が全員サッカーをやっていたから。両親ともサッカーをやっていなかったし、兄から言われることが多かったかな。でもお2人と一緒で、外部の人間の言うことを聞いても右から左に流れていったな。

鈴木 結局、みんな聞いていなかったと(笑)。親のサポートのおかげでスポーツができているわけですが、技術的なアドバイス自体を子どもは求めていないのかもしれないですね。

 

大切な仲間に迷惑をかけられないから不安になる
だから全員が努力してチームの信頼関係が生まれる

名波 日本代表について、啓太は初めて代表のピッチに立った時どんな心境だった? いろんなことを一気に背負うわけじゃない?

鈴木 いや、もう怖かったですよ。僕の2つ上の世代が小野伸二(FC琉球)さん、稲本潤一さん(SC相模原)、高原直泰ら黄金世代と言われていて、ドイツW杯を境にメンバー刷新の機運があったんです。ここで結果を出さないと本当に先がないという状況でした。当時の監督だった(イビチャ・)オシムさんが最初のメンバーを13人しか選ばなくて、残りの追加召集で呼ばれたのが僕でした。まだ認められていない不安感と、それを上回る大きな期待感と使命感が入り混じった不思議な感覚でした。

名波 青木さんの日本代表入りの時の心境は?

青木 最初の代表入りは先ほど話したように肩のケガで辞退し、次の年に代表入りできたんです。でも、その年は井村先生が中国代表で出ていってしまった時だったんです。井村先生の考えがあってのことだと思いますが、見捨てられた感覚というか、喪失感が大きかったですね。

名波 選ばれた高揚感より、その感覚の方が大きかった?

青木 高揚感は一度もないです。代表に入った瞬間から不安しかなかったです。初代表の時は控室で待っている時から緊張がマックスでした。でも入水する前にプールサイドの端から「よ〜い、ハイ!」で歩き始めるのですが、その号令で緊張が一瞬で解けます。スイッチが入ります。

鈴木 高揚感ってなかったですか?

青木 私、めっちゃ緊張するんですよ。試合前に泣くくらいです。2008年の北京五輪の年、4月にプレ五輪があったんですけど、試合が終わった瞬間に死ぬんじゃないかと思うくらいお腹が痛くなりました。アスリート向きのメンタルではないのかもしれません

鈴木 そうかな……。僕は不安がある人の方が強いと思うんです。不安だから何かをする。昔のように何でもできるスーパーマンじゃなくて、これからのアスリート像は変わっていくんじゃないかと思います。だから、青木さんはむしろアスリート向きなんじゃないですか。

青木 不安なのはチームスポーツだからだと思います。7人の仲間に迷惑をかけてしまうから、恐ろしく不安になる。アーティスティックスイミングはソロもあるんですけど、「全て自分のせいやし、誰にも迷惑かかれへん」って。そっちの方が全然楽です。

鈴木 わかるな〜。だって僕は自分のパスミスのせいで優勝を逃したことがあるんですよ(2014年、J1第34節名古屋戦)。しかもホームで5万人がいる前で、途中出場の僕のパスミスで全てが終わってしまったんです。それは辛かったですよ。でも逆の視点で考えると、チームメイトも同じ気持ちなんですよね。お互いが迷惑をかけないように努力するから、チームに信頼関係が生まれる。だからこそ、また新たなチカラが生まれるんだと思います。

 

誤魔化しでは不安を解消することはできない
サッカーの不安は、サッカーでしか返せない

名波 不安を克服したエピソードはありますか?

鈴木 プロになってサッカーを辞めたくなった時期があるんです。一番給料も稼いで、一番いい状態の時に体調を崩してしまったんです。その不安で押しつぶされそうになった時に、「いつ辞めてもいいじゃん」って助言されたことがあるんです。「え? そんな選択肢あるの?」って、僕にとって衝撃でした。そんな選択があるなら、「もうちょっとやってみよう」ってなったんですね。人間って潜在的に逃げちゃいけないと思っているけど、どんな場面でも逃げていいと思うんです。責任感が強い人ほど、追い込まれてしまう。心にちょっとした隙間というか、逃げる場所を与えてあげると、また頑張れる気持ちになるんですよ。「いいんだよ」の一言ですごく救われる人がいるんです。

青木 私もお父さんに「嫌なら辞めろよ」って言われてました。でも私は負けず嫌いだから、「辞めたくないし!」って。ほんまは抜けたいのに(笑)。私は不安になったらオフの日もひたすら練習していましたね。水から出ると感覚が狂うので、ずっと水の中にいました。

名波 アスリートあるあるかもしれませんね。

鈴木 名波さんもそうですよね? サッカーの中での不安って、サッカーじゃないと返せないじゃないですか。

名波 食事に行っても遊びに行っても、真の意味で解消できないよね。

鈴木 青木さんだって、四条河原町に行っても解消できなかったですもんね(笑)。

青木 できなかったですねー! やっぱり水の中じゃないと(笑)。

名波 四条河原町に水があったらいいのにね。

青木 では鴨川にでも入りますか(笑)。

一同 アッハッハ(笑)。

名波 ここまで盛り上がってきましたが、そろそろお時間になります。最後にスポーツが持つ人を育むチカラについてのそれぞれのお考えと、視聴者に向けてのメッセージをお願いします。

青木 スポーツから学べることは競技の技術だけではありません。礼儀もそうだし、壁にぶつかった時の乗り越え方も、私はスポーツから学ぶことができました。いろいろなトップアスリートのお話を聞くことは、お子さんの成長のヒントにもつながると思います。

鈴木 教育が大事ことはみなさんが理解されていると思います。この時代、物の価値がすごいスピードで変わってきていると思います。この状況の中で試されることは、共感や人を思いやる気持ちだと思います。そして、それはスポーツから一番学べると思うんです。子どもが心の底から一生懸命になれるものを覚えるって、すごく大事なことです。そして、子どもを支える親も学ぶことがたくさんあります。情報を沢山入れていただいて、それをどうアウトプットするかはみなさん自身です。僕はスポーツに育てられたと思うし、スポーツを通してこれからもみなさんのお役に立てることができればと思っています。本日はありがとうございました。

名波 2人がおっしゃったことはもちろんですが、ただテーブルについていて「人間力」が上がることはまずないと思います。もちろん、多少のお金はかかるかもしれませんが、スポーツは人生を劇的に変えてくれます。それが人を育むチカラになり、波及していくことで、自分も周りも幸せになっていくと思います。本日はありがとうございました。

 

PROFILE

名波 浩
1972年11月28日生まれ、静岡県出身。清水商業高校、順天堂大学を経て、1995年にジュビロ磐田に入団し黄金期を築いた。フランスW杯で10番を背負うなど、長らく日本代表を支えた。現役引退後は、テレビ出演やジュビロ磐田の監督を務めるなど幅広く活躍。サッカースクールSKYのアドバイザーも務めている。
鈴木 啓太
1981年7月8日生まれ、静岡県出身。AuB(オーブ)株式会社代表取締役社長。東海大翔洋高校卒業後、浦和レッズに入団。浦和レッズやU-23日本代表でキャプテンを務め、16年のプロ生活をすべて浦和レッズで過ごす。2015年に現役を引退、AuB(オーブ)株式会社を立ち上げ、現職に就任。
青木 愛
1985年5月11日生まれ、京都府出身。8歳から地元の京都踏水会でシンクロナイズドスイミング(2017年より競技名がアーティスティックスイミングに変更)を始め、京都文教高1年より、井村シンクロクラブに所属し、井村雅代氏に師事。2008年、びわこ成蹊スポーツ大学で初の五輪代表選手として北京オリンピックチーム種目で5位に入賞。北京五輪後に現役を引退し、スポーツコメンテーターとして幅広く活動している。

 

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