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名波浩×福田正博×大山加奈│「見守ってあげる」ことが子の選択肢を生む

 

敢えて口を出さない親と、良きライバルである妹
家族に支えられて全国制覇達成

名波 ちなみに大山さんのご兄弟は、妹さんがいるのは存じ上げてますけど、他にもいらっしゃるんですか

大山 弟がいます。野球とサッカーをやっていました。福田さんと一緒です。

名波 妹さんの話を少ししたんですけど、兄弟で同じ競技をやることの良さや良くない点について一言欲しいです。

大山 私がバレーを続けてこられたのは、妹がいたからなんです。まずは「負けたくない」っていう気持ちがすごく強かったんです。私はもともと体が弱くて運動が苦手で不器用で、バレー選手になれるような人間じゃなかったんです。でも妹は昔から走り回って遊ぶのが大好きで、運動能力がすごい高い子だったんです。なんでも器用にこなしてしまうというか。なので妹がバレーを始めるとメキメキとうまくなって、(私より)先に試合に出るようになって。私の方が大きいんですけど、本当に下手くそだったので……。そんな妹の姿を見て、「お姉ちゃんとしてしっかりしなきゃ。負けちゃダメだ」という思いが刺激になって頑張れました。

名波 逆にネガティブなことは何かあったりしましたか。バレーボールが原因で姉妹喧嘩をしたりとか。

大山 いや(笑)。お互い支え合いながらバレーボールをしてきたので、あんまり喧嘩というのはなかったです。結局、小中高、実業団とずっと同じチームでプレーしてきましたし。

福田 でも僕、大変なのは親御さんじゃないのかなと思うんです。試合に行って妹さんが出ていてお姉ちゃんが出ていないと……家に帰ってきてどうやってそこのところを対応していくかって、結構デリケートなところだと思うんですけど。

大山 福田さんのご両親と一緒で、何にも言わなかったです。一切口に出さなかったですね。でも、救われましたね。そこで妹に「よく頑張ったね~!」なんて言っていたら、心が折れていたと思います。

福田 辞めちゃってますね。

名波 ちなみに、お二人に聞いてほしいんですけど……柔道の3回の金メダリストの野村(忠宏)くんは、親御さんから小さい時のアドバイスはほぼゼロだったと言います。お兄ちゃんがいて、(両親は)お兄ちゃんには過度な期待のアドバイスをしていて、野村くんには「お前は自由にやればいい。辞めたいなら辞めていい」と。結果的にそれが反骨心になって「お兄ちゃんに勝ちたい」「親父を振り向かせたい」となって、最終的に大学時代の頃からグンと伸びたと言っていました。福田さん、どう思いますか。

福田 親が関わるんであれば本当に覚悟を決めて、そのスポーツに対してものすごく勉強するべき。それで責任を持って子どもに伝えていくならいいんですけど、ちょっとかじったからってああだこうだ言うのは、無責任な気がするんですよね。「やるならとことんやる」「やらないなら一切何も言わない」この二択だと思います。

名波 大山さん、話は変わるんですけど……アマチュア時代、中学生か高校生かな、勝ちまくった経歴をお持ちですよね。勝ち慣れた中で自分自身でどういう課題を見つけて、どういう風に紐つけてトレーニングに励んでいたんですか。

大山 小中高と全国制覇を果たしていて、世代ではトップだったんです。よかったことといえば……中高一貫校を選んで、中学時代は高校生とも一緒に練習ができていたんです。なので、自分よりもはるかにレベルが高い人と練習をともにしたことで、天狗になることもなく、「あの先輩たちみたいになりたい」という思いがずっとあって……すごく恵まれていたと思います。

福田 小中高と日本一ですよね……他にいます? そんな人。

大山 妹ですね。他に小中高はいないんじゃないですかね。

名波 ちなみに大山さん。アマチュア時代の怪我を乗り越えたとか、ミスをして監督に叱られて落ち込んだとか、そういうエピソードはありますか。

大山 小中高はなかったですね。あれこれ言わないタイプの監督でした。怪我も抱えてたんですけど、「無理をさせない」というスタンスで指導をしてくれましたし、休みをたくさんくれて、怪我をしながらもちゃんとプレーができる環境は整えてくれていました。

 

バレーがなくても私は私
弱音を吐ける相手がいたから頑張れた

名波 大山さんは腰痛と向き合っていた時は、どんな感覚だったんですか。

大山 オリンピック前には立てないくらい酷い腰痛が出てしまって、でもやっぱりオリンピックに行きたい気持ちも強くて。必死に代表の練習に食らいついていたんですけど、体もボロボロだし、怒られて心もボロボロになってしまったので、「合宿所を逃げ出そう」と決意をしたこともありました。オリンピックの……確か4か月前でした。荷物を全部まとめて、「逃げるだけ」というところで、両親と恩師にだけはメールで伝えたんです。すると恩師からは「加奈はバレー選手に向いていないんだから、辞めたかったら辞めていいよ」、両親からは、「バレーボールはそんな辛い思いをしてまでやるものじゃないよ。帰っておいで」と返信がきました。そこで泣いて、「もう少し頑張ってみよう」と思ったんです。当時はバレーボールをしている意味がわからなくなっていた時期で、(恩師や両親の言葉で)何のためにバレーボールをしているのかということを思い出しました。バレーボールをしていなくても、受け入れてくれる人がいると思っただけで心が軽くなったんです。

福田 アクシデントが起こった時、自分の気持ちや考えはパニックで整理がついていないんですよね。その時に自分の思っていることを誰かに聞いてもらうことって、すごく重要です。いいアドバイスが来るかどうかは別として、喋ることで自分の気持ちに整理がつくので、次に何をやらなきゃいけないかどうかが見えてきたりするんですよね。涙を流すことでスッキリするっていうことなんでしょうね。

大山 それまでは強い人間を演じていて、「弱音を吐いちゃいけない」と思っていたんです。でも吐いたら楽になりました。

名波 誰にでも自分の目的設定を見失うことってあるじゃないですか。人に伝えることでそのコアな部分を思い出すことで、元の自分に戻れたりしますよね。

大山 お二人は弱音吐けましたか。

名波 僕は吐いてないですね。

福田 僕も吐かないできましたね。苦しかったなあ。自分の愚痴を吐ける相手を持つことってすごく重要ですよね。

大山 アスリートって「強くなくちゃいけない」っていうのがある思うんですよ。周りからの目もそうじゃないですか。特に男性の方がそういう意識は強いと思います。

名波 ということはそういう、自分の中の苦しさを引きずったりはしなかったということですか。

大山 そこでは気持ちを切り替えられたんですけど、その後はやっぱり怪我でまともにプレーができない日々が続いた時は、同じように苦しみました。

名波 福田さんは失敗した後、引きずってしまったな、ということはありますか。

福田 僕はそういう切り替えは苦手でしたね。自分の弱いところを見せられる人が近くにいたら、もっと成功を収めていたと思います。今ここに出ているようなレベルじゃないですよ。世界で活躍するような人間になっていた可能性もあります。ある意味真面目過ぎちゃうんでしょうね。まっすぐすぎてなんでも受け止めちゃうから。今の話にもありましたけど、スポーツ選手は強くなくちゃいけない、みたいな。それはスポーツ選手を苦しめていますよね。

名波 福田さんはサインが出るようなスポーツには否定的だそうですが、バレーボールはサインがあるじゃないですか。自分のところに来ないサインが出た時とか、おとりの動きとかするわけじゃないですか。

大山 いや、バレーは自分が全部打つと思って入ります。セッターがサインを出すんですけど、「あなたはこの攻撃」「あなたはこの攻撃」っていう感じでサインを出して、スパイカーは絶対自分にトスが上がってくると思って入るんです。誰が上がるかは、上がるまでわからないんです。

名波 バレーボールって25点先取じゃないですか。例えば21~22点からずっと自分のところに来たら、テンション上がるもんなんですか。

大山 エースポジションをやらせてもらっていたので、「託されている」っていうのは燃えますね。

福田 エースは逃げちゃいけないんですよ。失敗してもそこから逃げたら、二度とそこのステージには立てないですから。そことの戦いなんですよね。

名波 小・中学生でもそういうシーンがあるじゃないですか。親はどういう風にアプローチすればいいんですかね。

福田 難しいですね。子どもがどう思っているかですね。「何も言わない」っていうのが一つなんじゃないですか。慰めを言っても受け入れないし、聞く耳も持っていないから。時間をおいて、子どもが少し整理がついてから声をかけるのはいいけれど……。何を言ってもポジティブに取らないから……ネガティブにとらえちゃうから、「見守っていてあげる」ことで安心感を与えるというか。親が忍耐強く見ていてあげることが大切だと思います。なんでも声をかけてあげることが全てじゃないと僕は思います。

名波 大山さんはいかがですか。

大山 福田さんのおっしゃる通りだと思います。それで、子どもが何か言ってきたらただ共感をしてあげることかと。

福田 さすがですね! 話してきてくれるような空気を作ることも大切ですね。食卓を一緒に囲むとか、向こうから話してくれるようなシチュエーションを作るのは一つの方法だと思います。喋らせてあげるっていうことが大切なんですよね。

 

他のスポーツも経験してみたかった
色々なジャンルに触れることの大切さ

名波 最後の質問になりますが、大山さん、他のスポーツは何か経験ありますか。

大山 ないんです。最初にお話ししたように本当に体が弱くて、何にもしてこなかったんです。外で遊ぶこともほとんどありませんでした。

名波 なるほど。他のスポーツを経験しておくことでについて、どういうところに重要性が生まれてくるというふうにお考えですか。

大山 やはりまず、バレーボールしかしてこなかったことに対して、すごく後悔しています。もっと他のスポーツを経験していたらバレーボールが上手くなっていたんじゃないかと思いますし、何より選手寿命が長かったんじゃないかと。バレーボールの動き……単一のスパイク動作ってすごく体に負担をかけてきていたと思うんです。その動作を繰り返してきたことで「脊柱管狭窄症」につながってしまったので……。脊柱管狭窄症って通常は高齢の方が発症するものなんですけど、20歳そこそこで発症してしまったのは、小学校時代からのスパイク動作のしすぎだと言われました。他のスポーツもやっていたら、もしかしたら体の負担が減って、怪我もなく競技を続けられていたのではないかなと思います。また、いろんな神経が刺激されて運動能力が高くなったんじゃないかっていうのと、もしかしたらバレーボール以外のスポーツが向いていた可能性もあるじゃないですか。ていうことを考えると、いろいろなスポーツをやっていたかったなと思います。

福田 逆に、このスポーツをやっていたかった、というのはありますか。

大山 具体的にそこまで考えたことはないんですけど、今も前線で活躍している荒木絵里香選手っているじゃないですか。彼女は同い年なんですけど、同じように小学校からバレーをやっていたんです。でも小中学校の時はあんまり本格的にやっていなくて、水泳や陸上をやっていたんです。大きな怪我もなく今も第一線で活躍している能力や体が身についているので、そういう全身運動をするようなスポーツをやっていたら違ったのかな、と思いますね。

名波 ということで、そろそろ時間になってきました。最後に福田さん、今視聴してくださっている親御さんや子ども達なんですけど、将来的な目標に向かってる人に何かアドバイスをお願いします。

福田 「失敗したらどうだろう」と先回りして考える必要はなくて、今できることに集中してトレーニングをすることが、先につながるので大切なことだと思います。

名波 大山さん。最後に、先ほど仰っていたように目的や目標設定を失ってしまった時に、大小問わずに悩みを抱えている子ども達がどうクリアしていくか、何かアドバイスをお願いします。

大山 やはり子どものうちって目標は持つと思うんですけど、なかなか目的って持たないと思うんです。「日本一になりたい」「全国に行きたい」という目標だけではなく、「自分はどういう選手になりたいのか」「このスポーツで何を学びたいのか」という目的まで持っておくと、たとえ目標が達成できない時も、落ち込んだり挫折したりせずにスポーツを続けることができると思います。また、目的の部分はそのスポーツを辞めてしまったとしても、大人になっても、生きてくると思うんです。

名波 本日はありがとうございました。

 

PROFILE

名波 浩
1972年11月28日生まれ、静岡県出身。清水商業高校、順天堂大学を経て、1995年にジュビロ磐田に入団し黄金期を築いた。フランスW杯で10番を背負うなど、長らく日本代表を支えた。現役引退後は、テレビ出演やジュビロ磐田の監督を務めるなど幅広く活躍。サッカースクールSKYのアドバイザーも務めている。
福田 正博
日本人初のJリーグ得点王に輝くなど、Jリーグ通算228試合で93得点をマーク。 Jリーグ開幕直前の1989年から引退する2002年まで浦和レッズの象徴的存在として活躍し、サポーターには「ミスター・レッズ」と呼ばれた。現在はサッカー解説者として、メディアで活動をしている。
大山 加奈
1984年6月19日生まれ、東京都出身。小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校在学中 の2001年に日本代表に初選出された。2010年に現役を引退し、現在はスポーツ・バレー ボールの発展に力を注いでいる

 

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