PROFILE
- 名波 浩
- 1972年11月28日生まれ、静岡県出身。清水商業高校、順天堂大学を経て、1995年にジュビロ磐田に入団し黄金期を築いた。フランスW杯で10番を背負うなど、長らく日本代表を支えた。現役引退後は、テレビ出演やジュビロ磐田の監督を務めるなど幅広く活躍。サッカースクールSKYのアドバイザーも務めている。
- 福田 正博
- 日本人初のJリーグ得点王に輝くなど、Jリーグ通算228試合で93得点をマーク。 Jリーグ開幕直前の1989年から引退する2002年まで浦和レッズの象徴的存在として活躍し、サポーターには「ミスター・レッズ」と呼ばれた。現在はサッカー解説者として、メディアで活動をしている。
- 大山 加奈
- 1984年6月19日生まれ、東京都出身。小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校在学中 の2001年に日本代表に初選出された。2010年に現役を引退し、現在はスポーツ・バレー ボールの発展に力を注いでいる
元サッカー日本代表の名波浩さんをホストに、様々な競技のトップアスリートを迎えて「スポーツが育むチカラ」を解き明かす越境クロストーク。今回はサッカー界から“ミスターレッズ”福田正博さんと、双子の妊娠を発表されたばかりの大山加奈さんを招いて、成長のチラカに迫ります。親は子に口を出すべきなのか、無言を貫くべきなのか。後編ではトップアスリートとして活躍した3人が自身の経験から、その最適解に迫ります。
敢えて口を出さない親と、良きライバルである妹
家族に支えられて全国制覇達成
名波 ちなみに大山さんのご兄弟は、妹さんがいるのは存じ上げてますけど、他にもいらっしゃるんですか
大山 弟がいます。野球とサッカーをやっていました。福田さんと一緒です。
名波 妹さんの話を少ししたんですけど、兄弟で同じ競技をやることの良さや良くない点について一言欲しいです。
大山 私がバレーを続けてこられたのは、妹がいたからなんです。まずは「負けたくない」っていう気持ちがすごく強かったんです。私はもともと体が弱くて運動が苦手で不器用で、バレー選手になれるような人間じゃなかったんです。でも妹は昔から走り回って遊ぶのが大好きで、運動能力がすごい高い子だったんです。なんでも器用にこなしてしまうというか。なので妹がバレーを始めるとメキメキとうまくなって、(私より)先に試合に出るようになって。私の方が大きいんですけど、本当に下手くそだったので……。そんな妹の姿を見て、「お姉ちゃんとしてしっかりしなきゃ。負けちゃダメだ」という思いが刺激になって頑張れました。
名波 逆にネガティブなことは何かあったりしましたか。バレーボールが原因で姉妹喧嘩をしたりとか。
大山 いや(笑)。お互い支え合いながらバレーボールをしてきたので、あんまり喧嘩というのはなかったです。結局、小中高、実業団とずっと同じチームでプレーしてきましたし。
福田 でも僕、大変なのは親御さんじゃないのかなと思うんです。試合に行って妹さんが出ていてお姉ちゃんが出ていないと……家に帰ってきてどうやってそこのところを対応していくかって、結構デリケートなところだと思うんですけど。
大山 福田さんのご両親と一緒で、何にも言わなかったです。一切口に出さなかったですね。でも、救われましたね。そこで妹に「よく頑張ったね~!」なんて言っていたら、心折れていたと思います。
福田 辞めちゃってますね。
名波 ちなみに、お二人に聞いてほしいんですけど……柔道の3回の金メダリストの野村(忠宏)くんは、親御さんから小さい時のアドバイスはほぼゼロだったと言います。お兄ちゃんがいて、(両親は)お兄ちゃんには過度な期待のアドバイスをしていて、野村くんには「お前は自由にやればいい。辞めたいなら辞めていい」と。結果的にそれが反骨心になって「お兄ちゃんに勝ちたい」「親父を振り向かせたい」となって、最終的に大学時代の頃からグンと伸びたと言っていました。福田さん、どう思いますか。
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