「SPODUCATION」では 4月16日(金)~18日(日)の3日間、ビジネスパーソンに向けたオンラインイベント「biz Festa」を開催する。スポーツで培われたノウハウが、ビジネスでも応用できることを紐解くべく、ビジネス界のトップランナーが、アスリートと激論を交わす。数多の企業のビジネスパーソンを指導してきたスペシャリストたちと、トップアスリートの邂逅は、どのような“解”を生み出すのか。現状打破に日々を捧げる現代ビジネスマンに向けた大型オンラインイベントを前に、“ビジネスサイド”のゲストのインタビューを紹介していく。
ニューノーマル時代の到来により、個々のキャリアの在り方も大きな変化が起きようとしている。パーソルキャリアの執行役員を務める大浦征也氏は、キャリアアドバイザーのスペシャリストとして、アスリートのセカンドキャリア支援にも奔走している。かつては甲子園を目指した熱血球児でもある大浦氏にとってのスポーツの価値、そしてキャリア形成の指針となる“北極星”の考え方について伺った。
目次
野球に打ち込んだ少年時代
―― 大浦さんは野球に打ち込んでいたと同時に、生徒会長でもあったそうですね。どんな少年だったのでしょう?
「久しぶりにそれを聞かれましたね(笑)。僕が育ったのは千葉県のベッドタウンなのですが、子どもの数も多いし、とてもスポーツが盛んな地域だったのです。子どもたちの中でもスポーツが得意な子がリーダーになるような雰囲気が自然に出来上がっていたのですね。野球部かサッカー部のキャプテンが生徒会長になることが当たり前のような感じでした。僕は野球チームのキャプテンをやっていたので、その流れで生徒会長にもなったのです」
―― 大浦さんにはそもそも先天的にリーダーシップが備わっていたのでしょうか?
「確かに昔からキャプテン等、リーダー的な役割は多く経験していますが、必ずしも先天的にそのタイプだったとは言い切れないと思います。社会に出て、人材業界に長く勤めて、マネジメントも経験する中で、自分なりに確立したリーダーシップスタイルはありますが、子どもの頃は、チームを強く引っ張るような典型的なキャプテン像ではなかったと思います」
―― 高校時代は真剣に甲子園出場を目指していたのですよね?
「僕が通っていた千葉県の地元の高校は市内からの生徒だけで構成されていたのです。ちょうど21世紀枠のコンセプトに合っているということで、市内から野球が得意な中学生を集めて、強い野球部を作りあげるようなことをしていました。だから朝から晩まで野球漬けの高校生活でしたね。副キャプテンをしていましたが、あまりチームを牽引するリーダーシップのようなことは考えていませんでした。それよりも甲子園に出たい、それとプロ野球選手になりたい、とそればかりを思っていました」
―― 高校時代のスポーツが終わると目標を失ってしまう人も多いですが、大浦さんは甲子園出場の夢が断たれた後、どのように人生の切り換えをされたのですか?
「僕自身は切り換えをするというより、むしろ野球を続けるために大学を選びました。野球推薦で進学するほどのレベルではなかったので、一般入試で野球部が強いことを基準に大学探しをしたのです。そこで強豪校の夜間学部に入学して、日中は野球に専念しようと考えました。ただ結果的には、大学に入学するまでの間で大きな怪我をしてしまって、野球を諦めざるをえなくなりました。野球をするために選んだ大学なのに、入学した時にはその野球が無くなっていた。そんな進学でした」
野球に代わるものを探した就職活動
―― それまで夢中で追い続けた目標を失ったわけですね。そこからどのようにして、人材サービス業界へと人生の方向転換を果たせたのですか?
「そのような意味合いで言えば、大学時代は失われた4年間だったと言ってもよいでしょうね。野球に没頭するために選んだ夜間学部なので、キャンパスライフみたいなものもあまりありませんでした。日中は働いていましたが、それもあまり好きな仕事ではありませんでした。だからでしょうか、入学してから就職活動を始めるまでの3年間は自分が何をしていたのか、あまり思い出せないくらいです。そんな自分と野球を頑張っていた頃の自分との間にギャップを感じていて、野球以上に熱中できるもの、夢中になれるものがありそうな就職先を探そうとしました」
―― なぜ人材会社を選んだのですか?
「僕は高校も大学も野球を軸に選んできたわけですし、実際に勉強もしていなかった。だから、新卒採用の就職活動には苦労しました。今で言う学歴フィルターがあって、応募すらできない会社も多かったです。だから学歴社会というものに対して憎悪がありました。その学歴社会を作っているのは人材会社のような気がして、ならばその人材会社に行って、内部からそれを変えてやろうと思ったのが一つ。あと野球に熱中していた頃の自分を要素分解してみると、仲間に恵まれていたことと、甲子園という明確な目標が『北極星』のようにあったことが重要だったと思ったのです。そうしたことで今の会社に辿り着きました」
野球経験を活かしたモーレツ社員時代
―― 憎悪が元で入社された会社で、どうして早々に業績を上げることができたのですか?
「今の時代だとあまり許されるやり方ではないですが、野球に例えるなら、下手なら量をやるしかないって感覚でしたね。上手い人の倍、練習するというか。誰よりも早くグラウンドに行って、誰よりも遅くまで練習する。そうした感覚は自分には染み込んでいました。だから、当時は相当がむしゃらに働いたのです。野球が上手くなる過程を紐解いてみて、それをビジネスの世界に適用しました。つまり、高い成績を挙げている先輩の真似をして、自分に足らない部分を把握して、日々のノートに記録して、そして足りないものは量でカバーするといったことです。そうした若い頃の働き方が同期の中で抜きんでる結果に早く繋がったのかもしれませんね」
―― PDCA サイクルを無意識に行っておられたようですが、それも野球の経験から?
「基準をどこに置くかでしょうね。そうすると現状との差分がはっきりします。その差分を埋めていくにはPDCAしかないということで、日々改善していく。若い頃は差分も大きいので、量を大きくしてその差を埋めていくしかなかったということでしょうね」
アスリートのセカンド・キャリア支援プロジェクトを立ち上げた訳
―― アスリートのセカンド・キャリア支援も行っておられますが、そこに到った経緯を教えて頂けますか?
「入社して2年目のときでしたが、実際に社会に出て法人営業やキャリアアドバイザーを経験する中で、『学歴を一定のモノサシにすることで、後に活躍する可能性の高い人材を効率的に確保する』という考え方も理解出来るようになっていました。当時の社長に『採用は宝探しではない』と言われたことにも納得し憎悪のようなものはなくなっていました。ただ、学歴が一つのモノサシになるなら、スポーツの経歴もそうなりえるのではないかと思い、当時の取締役と先輩社員との飲み会の席で、アスリートのキャリア支援をやらせてくださいと頼んだのです。そうしたら、やってみようじゃないかということになりました。当時はイケイケの会社だったのですね。さらに会社がJOCの公式スポンサーになったこともあって、オリンピアンを中心に2004年から4年間、公式なアスリートのキャリア支援プロジェクトを立ち上げる経験ができました」
―― 最初から大浦さんが立ち上げたのですか?
「僕はその頃まだ入社2年目か3年目でしたので、プロジェクトのオーナーではなく、実務担当のような立場でした。メインで立ち上げたメンバーが5人いて、その中の1人でした」
―― プロジェクトを立ち上げた後の経緯はどうでしたか?
「追い風がいくつかありました。人材会社がオリンピック協賛企業になっているということで、キャリア支援を行ってもらいたいという要望がJOCや競技団体からありました。その後押しもあって、今でもテレビ等で活躍されている田中ウルヴェ京さんというこの分野の第一人者の方とタッグを組むこともできたのです。京さんはオリンピックの銅メダリストで、アメリカでスポーツ心理学も学ばれた人で、この方の協力を得て、日本にまだアスリート支援の先行事例がない時代に他に先立って行うことができました。それと社内にもスポーツ支援をやりたいという人が当時は多かったのですね。だから社歴の浅い僕をバックアップしてくれる人も多かった。そのようなわけで、僕の実力以上に、事業が上手く立ち上がりました」
―― プロジェクトを行ったことで手応えのある結果は出ましたか?
「少し難しい表現になってしまうのですが、手応えはとても強く感じたのですが、望ましい結果は出ませんでした。選手たちからは強く求められていると感じたのですが、今から15年前くらいの当時では、競技団体の文化や雰囲気はアスリートが現役中に引退後のキャリアを考える風潮に否定的だったのですね。JOCのスポンサーだから話は聞くけど、選手たちに余計な世界を見せるな、というような感じでした。選手がセカンド・キャリアについて何らかの活動を表立って行うと、お前はもうやる気がないのか、引退するのか、などと話をされたりもしました。選手たちが大きな不安感の中で競技に臨んでいるということは実感として手応えがあったのですが、所属企業、チーム、リーグ協会などの理解を得ることはできていなかったですね。それとアスリートを受け入れてくれる企業の側も、アスリートの能力を正しく評価してくれるというより、広告塔としての役割しか期待してくれませんでした。だから、選手と企業の間でマッチングがあまり上手く行かなかったのです。そうこうしているうちにリーマンショックがやってきて、会社としての事業は一旦解散することになりました」
個人で続けた支援活動をさらに組織の中へ
―― 大浦さんは社外で個人的にアスリート支援を続けていらっしゃるそうですね?
「2008年に会社が事業から撤退した後は、手弁当で週末の副業のような形で支援活動を続けました。選手たちとのネットワークはできていましたし、必要とされているという手応えも感じていましたので。時として、手弁当とはいいながらも相談頂いたアスリートに自社のサービスに登録頂きマッチングすることもありましたし、転職や就職活動の支援も出来ました。それを2015年くらいまで細々と続けました。その頃になると世間の風潮も変わってきており、アスリートのセカンドキャリア支援、デュアルキャリア支援という考え方も広まってきたことを感じていました。Bリーグ発足や東京オリンピック開催決定などの追い風もありましたね。そうなると残った課題は競技団体や指導者側の意識改革だと思い、スポーツヒューマンキャピタルに加わることにしました。ここ2,3年はスポーツ球団、クラブ、団体の求人を多くお預かりして、チームやリーグのお手伝いをさせて頂く機会も増えました。そして昨年、会社として公式にアスリート支援事業を再立ち上げすることになったのです」
―― 競技団体の枠内で育ったアスリートは視野が狭くなっているということはありませんか?
「その通りだと思います。ラグビーの廣瀬俊朗さんやサッカーの鈴木啓太さんらもそのようなことをよく言っていますね。お2人ともじっくり話をさせてもらいましたが、共通しているのは、スポーツはあくまで人生やキャリアの一部分に過ぎないという考えですね。啓太さんは選手のキャリア支援は必要ない、むしろ必要なことは社会がアスリートの能力をどう生かすかを考えることだとまで言っていました。あるスポーツに没頭するのはいいけど、それがすべてになってはいけない。その意識改革をする上で障害になっているのが、未だに残っている古い体育会的文化でしょうね。だから複数のスポーツをやる子どもが少ないですし、その延長から野球で言う、投げ過ぎ問題のようなことも起こります。周りをシャットアウトして、かつ強い負荷をかけるので、残念なことながら、それがすべてだと思い込んでしまう人が多いですよね」
スポーツとビジネスの共通項とは
―― アメリカではスポーツ経験者の方が未経験者より生涯賃金が高いという統計もありますし、選手たちが現役中からセカンド・キャリアを強く意識する風潮があります。日本もそうなっていくでしょうか?
「そこには私も強い問題意識を持っています。京さんと最初に作ったプログラムの名称はアスリート・キャリア・トランジション・プログラムでした。そこでは、引退は人生の通過地点の1つに過ぎないということと、今までのキャリアで培ってきたものは無駄にならないということをアスリートたちに強調しました。それは現在でも重要な感覚だと思います。アメリカにあるNCAAの日本版を作るという議論はずっと以前からありますが、なかなか前に進んでいないようにも感じます。まだまだ日本には古き悪しき文化が残ってしまっていて、その結果としてアスリートの視野を狭くしてしまっていますね。勿論、社会には情報が溢れていて誰でもいつでもその情報に触れることは出来るので、アスリート側にも問題はありますが」
―― スポーツを体験することによって、客観性や課題解決能力、またはリーダーシップなどの社会的な能力が高まるという説もあります。大浦さんご自身はどう感じていますか?
「いくつかあります。現在のビジネスパーソンに求められる資質は何かと考えた時、僕はマサチューセッツ工科大学でメディア・ラボ元所長の伊藤穰一さんがよくお話される『コンパス・オーバー・マップ』(地図よりコンパスの時代)をなぞらえます。つまり、以前のように、ナビゲーションシステムのように地図で道順を辿って時間をかけて辿り着く時代ではない。辿り着いても、その場所に目的の物がなくなっていたりもしますから。その点、コンパスには2つの特徴があります。1つは北を指すと言うこと。常に北極星の位置が分かります。もう1つは、緯度経度でもって現在の立ち位置が分かるということ。僕はビジネスにおいて重要な要素はその2つだと考えています」
―― その2つの要素はビジネスだけではなく、スポーツの世界にも通じるものなのでしょうか?
「僕はそう思います。例えば、プロ野球選手になるという目標があったとしたら、自分はそこからどの位置にいるのか、現在地点を客観的に把握することは重要です。ビジネスの世界では、北極星を明確に持ち続けることと現在時点を客観視することは極めて難しいことです。僕自身は早い段階で従来の強いリーダーシップ像から離れた自分なりのやり方を考えることと、北極星を持つということは、スポーツ経験によって身についたものだと思っています。コンパス・オーバー・マップと言う感覚で仕事ができているのはスポーツのおかげでしょうね」
―― スポーツ経験はビジネスに大いに役立つということですね?
「そう思います。もう1つは、人とのかかわり方でしょうね。僕は特にチームスポーツをやっていましたので、1人では何もできないという感覚が染みついていました。僕はピッチャーをやったことがないのです。同じチーム内にあって、まったく別の役割を担った人間がいるということがよく分かっています。そうした感覚は社会にでたときにダイバーシティ・マネージメントとかチーム・ビルディングに活きてきますよね。チームには欠かせないピースが存在しているという感覚が常にあります」
―― 目標達成能力ですとか、PDCAなどのビジネススキルについてはどうでしょうか。スポーツ体験は役に立つと思いますか?
「確かに一般的にはスポーツ経験者は目標達成能力が高いと言われますが、確かにそうだなと思う側面がある一方で、それはスポーツに限った話ではないと思います。音楽や芸術の世界でも、また受験勉強の世界でも同様のことは言えると思います。ただ、いずれの分野でも北極星を見つけていた方は必然的に目標達成能力は高く身についている印象はありますね」
これからの人材に求められる姿勢とは
―― コンパスを持てている人はそれほど多くはありませんね?
「現実的には持っている方は稀でしょうね。キャリア・オーナーシップとかキャリア自律という言葉で表現しますが、自分自身で自分のキャリアをハンドリングしている人はとても少なくて、それは別の言い方をするならば、コンパスを持っていないということでしょうね。会社が掲げている北のような方向に自分を向かせて、会社の内部でしか自分の立ち位置がわからないので、コンパスがほとんど機能しません。地図っぽい感覚になってしまうのですね。昇進レースとか部署移動とかに囚われている人がほとんどでしょうね」
―― キャリア観が会社に向かってしまっているということでしょうか?
「シンプルに言えば、会社が人事権を持っているということです。そう言うと、多くの日本人からは、それはそうだよねって反応が返ってきます。それはある意味ではおかしなことで、自分のキャリアを自分で決められないという感覚になっている日本人は多いですよね」
―― 2020年代からのキャリア観はどのように変わっていくと思いますか?
「以前は会社の過去、僕が社会人になった頃は会社の未来、そしてこの10年ぐらいは会社の今を見て、職業選択をする人が多かったですね。最近はコロナ禍のこともあって、会社の中に自分をはめるという考えをしなくなった人が増えてきていますね。全体からみれば、まだまだマイノリティですけど。会社を主体とするのではなく、今の自分、あるいは未来の自分に会社を当てはめていって、自分軸を主体に職業を選択しやすくなってはいます。リモートワークとか副業とか、取れる選択肢も多くなっていますし。別の言い方をすれば、僕はよく、キャリアの時代からスキルの時代を経て、掛け合わせの時代になったと言う表現をします。ただ誤解して欲しくないのは自分軸といっても組織への貢献とか、会社内での活躍という概念はとても大切です。その会社組織に振り回されずに、キャリアを自分でハンドリングするということなのです」
―― その辺りを詳しくお聞かせ願えますか?
「これまではキャリアが売りだったわけですよね。キャリアは轍って意味ですので、それは過去のことです。どこの大学を出て、どこの会社に入ったというような過去の話です。次にスキルが売りの時代がやってきます。社歴や学歴より、何のスキルがあるのかが重要視されるようになりました。エンジニアがもてはやされたり、デジタル・マーケティングが武器になったり、英語力を問われたり、そういうことですね。今はさらにどのスキルがあれば安泰ということはなくなってきていますよね。そうなると、キャリアも価値だし、スキルも価値だということで、それを掛け合わせて価値をさらに高めることが重要な時代になってきました。これは藤原和博さんが言うところの『キャリアの大三角形』とほぼ同じ意味ですね。藤原さんは100分の1と100分の1と100分の1を掛け合わせて、100万分の1の人材になれと言っています。自分軸で会社人としての自分をデザインするうえで、キャリアとスキルを掛け合わせて、いかに稀少な人材になれるかを考える時代になってきた。そんな風に考えています」
―― 大浦さんご自身はどうですか?
「僕の場合、スポーツは本業ではないですけど、結果的に掛け合わさっていました。会社の名刺には正式にスポーツは書かれていなくて、社内的には大浦が個人的に手弁当でやっているという認識です。でも僕のキャリア・アドバイザーとしてのキャリアとスポーツの世界が掛け合わさって、価値が生まれてきたわけです」
スポーツと日本の将来について
―― 未来の目標はどのように描かれていますか?
「僕なりの北極星は日本を国語・算数・理科・社会だけの国にしないことです。学歴へのアンチテーゼがなくなっていないのかもしれませんけど。勉強が得意な人たちが社会の中枢を占めるのは悪いことではないかもしれませんが、それだけでは豊かさが乏しくなると僕は思います。僕にとっての豊かさとは、芸術とか音楽とかスポーツとか、非日常性、あるいは趣味のようなものです。そういったものに徹底して取り組んだ人たちが損をしない社会にしたいですね。僕はたまたまスポーツを対象にしていますが、他に音楽や美術などの分野でも同じように取り組む人が出てきてほしいですね」
―― 日本はそういった分野でまだ豊かではないということでしょうか?
「そうですね。なぜそう思ったかと言えば、例えばラグビーのワールドカップです。日本は歌舞伎をモチーフに世界からの客をもてなしたそうなのです。今の日本人で歌舞伎を見に行ったことがある人はどれだけいるでしょうか? 歌舞伎は素晴らしいもので進化もされ続けていると思いますが、少なくとも近代日本で生まれた文化ではありません。東京オリンピックの招致活動でもそうですけど、世界に日本文化を発信しようと思うと、どうしても江戸時代までに確立されたものになってしまう。国語・算数・理科・社会を重要視してきた日本には、ひょっとして新しい文化が生まれていないのかもしれないとも思うことがあります。アニメなど新しい文化も生まれているのかもしれませんが」
―― スポーツに話を戻すと、どのような役割を日本社会にたいして担えるでしょうか?
「スポーツは一般社会で課題とされているものを凝縮したコンテンツだと思っています。例えば、スポーツはダイバーシティが進んでいる領域だと言えます。さらにグローバルでもあります。競技レベルを上げていくと、必ず世界に繋がりますから。外国人が同じチームにいることは当たり前ですし、今回の森さんの発言にもあったように、男女の問題にも非常にセンシティブです。スポーツの役員理事で40%を女性にするという話がありますが、日本全体では『2030』って言っているのですよね。2020年までに管理職の30%を女性にするという目標です。もちろん課題はたくさんありますが、見方によっては、スポーツ領域の方が日本全体よりダイバーシティやガバナンスへの問題意識が強いと言えるでしょう。スポーツの領域で女性が活躍する社会とか、心身を健康にする文化とかを作りあげていくことで、一般社会に応用できるのではないかなと思います」
―― 大浦さんのコンパスはどちらに向いているのでしょうか?
「スポーツ選手を支援するアプローチが結果として一般のビジネスパーソンを元気にするアプローチに応用できると思っています。スポーツとビジネスの共通項を見出していくうちに、結果としてスポーツ分野のダイバシティマネジメント含めたチーム作りや目標を達成するまでの取り組み方等をビジネスサイドに取り入れることが出来ると思っています。スポーツ産業を元気にしたいということも目標なのですが、スポーツのエッセンスを一般社会側に持っていき社会全体を豊かにすることや、夢を途中で諦めずにとことんまで挑戦しても損にならない社会を作りたいと思っていることが僕の目標です」
スポーツとビジネスの共通言語とは
―― 大浦さんは語彙力が豊かというか、とても興味深い言葉を使われますね。
「鈴木啓太さんともよく話が合うのですが、セカンド・キャリアでもデュアル・キャリアでも、そうした言葉が僕にはしっくり来ないのですね。スポーツの競技レベルを上げるアプローチがそのままビジネスにも役に立つのではないかと思います。理想的には競技に集中することが、そのまま活かせるに越したことはありません。そのキーワードになるのが、共通言語化だと僕は思います。例えば、サッカー競技のレベルを上げるために使われている単語とビジネスの営業力を高める単語が同じであるとか、スポーツでのチーム・マネージメントとビジネスのそれとでは同じようなキーワードが使われているとか、そういうことですね。だから、語彙力とか言語化能力というものに僕はかなりこだわっています」
―― スポーツと教育の関連について伺いたいのですが、スポーツ体験を実社会に活かすには保護者の姿勢も問われますね?
「そこは重要なポイントですね。例えばスポーツ推薦で進学するにしても、大学の競技レベルよりも、偏差値やネームバリューで大学を選ばせる親は今でも多いです。野球でもサッカーでも駅伝でも、大学卒業で競技を辞めた方がその後クラブチームや独立リーグで競技を続けその後就職するよりも明らかに有利です。競技レベルを上げることがビジネスに役に立つとは認識されていなくて、単に学歴を得るためとか就職を有利にするための手段としか見ていない親もいるかと思います。そのような感覚では競技レベルも上がりませんし、夢を追い続けようとする若者が増えないですよ」
―― 保護者が子どものスポーツに求めるものがずれているということでしょうか?
「親は子どもが何をしたいのか、何に向いているのかを真剣に向かい合わないと、子どもは親の期待に必要以上に応えようとしてしまいます。そうなると自立することを妨げてしまいますね。ちなみに僕自身は野球人ですけど、自分の息子はサッカー教室に通っています。それも良いかなと思っています(笑)」
PROFILE
- 大浦 征也(おおうら せいや) | パーソルキャリア株式会社 執行役員/dodaエージェント事業部 事業部長
-
2002年、株式会社インテリジェンス(現社名:パーソルキャリア株式会社)入社。人材紹介事業に従事。その後、複数の部門の総責任者、営業本部長、事業部長などを歴任。2017年より約3年間、転職サービス「doda」の編集長を務める。2019年10月より現職。社外にてJHR(一般社団法人人材サービス産業協議会)キャリアチェンジプロジェクト、ワーキンググループメンバー、SHC(公益財団法人スポーツヒューマンキャピタル)理事にも名を連ねる。
2021/04/16(fri)~04/18(sun)
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