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元サッカー日本代表・橋本英郎の 逆境に立ち向かう「オン・オフ」成長論 VOL.1

ガンバ大阪やヴィッセル神戸で活躍し、日本代表としても出場経験がある橋本英郎選手。現在はFC今治で現役を続ける傍ら、チャリティーイベントなどの社会貢献活動、メディアでのコラム執筆など、多方面に活躍の場を広げている。そんな橋本選手は“サッカー黄金世代”として、地元ガンバ大阪の育成組織で稲本潤一選手らとプレーしつつ、府内有数の進学校である天王寺高校に通いながら「文武両道」を実践してきた。「人より特別に秀でた能力はなかった」と語る橋本選手が、スポーツ・教育の高い頂きを登り続けることができた理由とは?

 

スポーツで培われる、実社会でも戦える強さ

スポーツにはさまざまな能力を育むチカラがあります。スポーツを“楽しむ”ことで、集中力が上がり、応用力を持ち、考えるチカラなど、勉強だけでは培えない能力を身に付けることができます。そして、さらなる上達を目指すことで、スポーツは“楽しむ”から“競技”に変わり、自分の思うようにいかない理不尽な状況に遭遇することになります。

しかしそれを乗り越えることが、実力社会の中でも戦っていける心の強さ、メンタルの強さを養うことにつながるのです。そんな“逆境に立ち向かうチカラ”を、僕は長い選手生活の中で身につけることができたと思っています。このコラムでは、僕自身の成長過程を振り返りながら、直面する困難な状況にどのように対処、選択してきたかをお伝えしていきたいと思います。

 

ガンバ育成組織と偏差値75の進学校という「究極の両立」

僕は3人兄弟の末っ子で、スポーツ、勉強ともに兄と姉の影響を受けて成長してきました。両親が教育熱心だったこともあり、勉強に対する姿勢は非常に厳しいものがありました。だから僕が中学に進学する時には、兄と姉が勉強してきた形がすでに出来上がっていたので、僕はそれに倣うだけでよかったんです。

兄は釜本FC(後にガンバ大阪ジュニアユースに統合)でサッカーを、姉はバレーボールを続けながら、共に大阪府立天王寺高校(文武両道を実践する府内有数の進学校、OBに元サッカー日本代表監督・岡田武史氏らを輩出)に合格していたので、すでに道を作ってくれていたんです。それこそ文武両道の素晴らしい見本が目の前にあったので、末っ子の僕はそれを実践するだけでした。

兄と同じ塾に中1から3年間通っていたのですが、すでに兄が塾とクラブを行き来していた前例があるので、僕も同様の生活をすることにガンバ大阪ジュニアユースの監督、コーチの理解もありました。ガンバのようなチームで、塾で練習を休むなんて普通は考えられなかったと思います。

勉強もスポーツも、ハイレベルな環境で育ったことで、どちらも辛かったのは事実です。しかし、そこを乗り越え、天王寺高校に進学しガンバのユースに上がれたのは、ひとえに家庭環境の影響が大きかったと思います。文武両道が当たり前の環境で、兄と姉ですでにそれを実践していたわけですからね。家族が恵まれた環境を創ってくれていたことに、今でも感謝しています。

 

100人が1ヶ月過ぎたあたりから半分以下になる過酷下で「生き残る」ために

中学生当時、ガンバ大阪ジュニアユースを辞めたいと思っていましたが、サッカーを辞めたいと思ったことはないんです。あのハイレベルな環境にいることがとにかく辛かった。

最初は中学1年だけで100人くらいいたチームメイトが、1ヶ月過ぎたあたりから半分以下になりました。ガンバの中にも僕くらいのレベルの選手はCチームに何人かいて、歯を食いしばって頑張っていたんです。そしたら彼らとプレーするのが徐々に楽しくなっていきました。

Aチームの稲本(潤一)や選抜の選手らはみんなが上手いし、文句を言われるし、一緒にプレーするのが本当に嫌だったんですよ(笑)。僕らは上から言われる側だから、各々は文句の言い合いにならないし、居心地がよかったんですね。そこの場所にいると、まだスポーツが“楽しめる”環境だったんです。

上のBチームには行きたいけど、Aチームには行きたくない。志が低いと言われてもしょうがなかったと思います(苦笑)。僕は1時間程度かけてガンバの練習場に通い、塾にも行っていました。しっかり練習に参加出来ていなかったので、練習試合にもなかなか出させてもらえませんでした。稲本たちを見て「プロに行くのはこういう選手なんだ」と、中学に入って早々にプロになることを諦めていたし、6月にはもはやガンバで練習する意味すら見出せくなっていたんです。

そんな時にある「出来事」がきっかけで、自分の練習に対する姿勢は大きく変わり、サッカーを辞めずに続けていくことになります。それは同時にユース、プロと続く「茨の道」の始まりでもあったんですーー。

VOL.2に続く

PROFILE

はしもと・ひでお
1979年5月2日生まれ、大阪府出身。1998年にガンバ大阪に入団、2019年よりFC今治にてプレー。日本代表としても国際Aマッチ15試合出場。2014年にプエンテFCスクールを開講し代表に就任。

 

【スポーツ成長法則~back number~】

【#01】ガンバ育成組織と偏差値75の進学校という「究極の両立」

【#02】苛烈な競争下、“違った視点を持つ”選手に

【#03】高校で見つけた新たな「サッカーを楽しむ場所」

【#04】サッカーを通して「育まれたチカラ」とは?

 

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