ビジネスの戦略決定や市場分析のほか、政治など多分野で応用される「ゲーム理論」を専門に、アメリカの名門大学で教鞭をとる鎌田雄一郎氏。社会において複数の人や組織が意思決定を行う場合に、どのような行動が取られるかを予測する「ゲーム理論」のスペシャリストは、トップアスリートの思考をどう解析するのだろうか。「bizFESTA」にて、 WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太選手と対談した鎌田氏。若き天才ゲーム理論家が、たった一度の対談を基に<王者の意思決定>に至るメカニズムを複合的な視点でひもといていく。
目次
極度の緊張状態における王者の戦略的思考
さて、もう一つの可能性「様々なパターンを想定し、戦略を変えていく」であるが、これは私がもっとも可能性の高い回答だと予想していたものである。
相手の自分に対する「読み」自体を読み込み、適宜戦略を立てる。たとえば、自分が得意とする右ストレートを相手が封じてこようとしそうなら、右ストレート中心の試合の組み立てはしない、など柔軟な展開を準備しておくのだ。
対談に向けてこのように自分なりに予想して、実際に村田選手に質問を投げかけたところ、返ってきたのは意外な答えだった。
彼の答えは、「研究されていると思って違うことをやると軸がブレてしまう。得意なことがブレると弱いので、ベースは変えない」というものだった。
つまり村田選手のように右ストレートが得意なら、「それは研究されているから別のことをしよう」と考えるのではなく、自分の得意な右ストレートは磨き、それを軸に試合を組み立てる、というのだ。
つまり、「もちろん相手が自分のことを研究しているのは知っている。だが、だからと言って準備を変えるわけではない」というのだ。
この理由は、村田選手によると、ボクサーが崩れる時に一番多いのは、相手に崩されるのではなく自分から崩れることだから、とのことだった。この話は次稿につながるのでここで多くは書かないが、この「自分から崩れる」というある種メンタルの部分がパフォーマンスに影響を与え、そしてそれが戦略的思考を決定づけているというところに、私は面白みを感じた。
ボクシングというのは 一瞬の気の緩みも許されない極度の緊張状態で行われる競技だ。だからメンタルの部分が戦略的思考に影響してくるというのは、言われてみれば納得できるところである。このボクシングという競技の特殊性が、戦略と戦略の相互作用を、ゲーム理論家が頭だけで考えうるのとは違う形で決定づけている。ここがボクシングの醍醐味なのかも知れない。この点についても、今後の記事で深めていく予定である。
王者の絶妙なバランス感覚
対談を通して分かったのは、村田選手が「相手を知る」ことと「自分を知る」ことのバランスをうまくとっているということだ。
まず、相手を知るためにもちろん相手の研究はする。しかし研究した内容に意識がいきすぎて頭でっかちになってはいけないので、長所と短所の2つに絞り、そこを徹底的に抑える。
自分を知ることも欠かさないが、それもやりすぎない。相手が自分に合わせてファイトプフランを練るからといって、自分の軸である得意なところを封じたりはしない。究極的には、自分自身の得意なところをよく理解し、それを出していくのが大事ということだ。
現代社会で忘れがちな「己を知る」ということ
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」には、実は続きがある。
「彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず殆うし」である。
私は恥ずかしながら、この記事の原稿を書くまでずっと、「彼を知り己を知れば……」というのは、「相手を知るのはもちろんだが、自分を知ることも大事なのだよ」という、「自分を知る」に力点を置いた教えだと思っていた。しかしこの続きの部分を読むと分かるのは、どうやら重要な対比は、「自分を知るか、知らないか」ではなく、「相手を知るか、知らないか」ということのようである。
孫子の時代には、「自分を知る」というのは当然のことと思われていたのかもしれない。しかしこの当然のことを、現代に生きる私たちは忘れがちである(だから私も、上記のような解釈が自然になったのだろう)。
村田選手は、「彼を知る」と「己を知る」をバランスよく達成していることが、対談を通してよく分かった。そんな村田選手は、「百戦殆うからず」であろう。
PROFILE
- 鎌田雄一郎(かまだ ゆういちろう) | カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院准教授
- 2007年東京大学農学部卒業、2012年ハーバード大学経済学博士課程修了(Ph.D.)。イェール大学ポスドク研究員、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院助教授を経て、テニュア(終身在職権)取得、現在同校准教授。NTTリサーチサイエンティスト、東京大学大学院経済学研究科グローバル・フェローを兼任。専門は、ゲーム理論、政治経済学、マーケットデザイン、マーケティング。著書に『ゲーム理論入門の入門』(岩波新書)、『16歳からのはじめてのゲーム理論』(ダイヤモンド社)
【若き天才ゲーム理論課家による至高の意思決定/鎌田雄一郎~back number~】
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