COLUMN

元サッカー日本代表・橋本英郎の 逆境に立ち向かう「オン・オフ」成長論 VOL.3

ガンバ大阪やヴィッセル神戸で活躍し、日本代表としても出場経験がある橋本英郎選手。現在はFC今治で現役を続ける傍ら、チャリティーイベントなどの社会貢献活動、メディアでのコラム執筆など、多方面に活躍の場を広げている。そんな橋本選手は“サッカー黄金世代”として、地元ガンバ大阪の育成組織で稲本潤一選手らとプレーしつつ、府内有数の進学校である天王寺高校に通いながら「文武両道」を実践してきた。ガンバ大阪のアカデミーに集う猛者たちの中、もがき苦しんでいた橋本選手。そんな彼にとって、心の“拠り所”とも呼べる場所とは?

中学時代の心の拠り所となった長居公園での練習

中学生の頃、大阪市東住吉区にある長居公園では社会人が草サッカーをしていて、そこに混ぜてもらうようになりました。要は小学生のときに地元の友達とボールを蹴って遊んでいた場所が、中学生から長居公園へと切り替わったんです。そこでのサッカーは本当に楽しくて、ガンバでの練習試合が終わった後、毎週のように足を運んでいました。長居公園にはガンバでの競争に疲れて辞めてしまった友達などもいて、僕にとっては“オアシス”のような場所でした。

これは持論ですが、人間には辛い環境から逃げられる場所が必要なんだと思います。おそらく、小学校から中学校までサッカーを続けている選手は、誰だってサッカーが好きなんだと思います。ただ、そこでの人間関係だったり、レベルの高さだったり、自分を取り巻く環境が、サッカーを嫌いにさせてしまっているんだと思います。その意味では、僕にとって長居公園はガンバでの辛い環境からの「逃げ場所」であり「楽しむ場所」だったのだと思います。そしてそこは、僕にとってかけがえのない心の拠り所でした。

 

厳しい環境を捨ててしまうと、挑戦する場所をなくしてしまう

遊んでばかりいた小学生時代から、中学では確実に勉強時間が増えました。でも、勉強は学校の授業と塾での時間に集中していたので、それ以外の時間も十分に確保できていました。周囲からは、ガンバに行って、塾にも行って、全く時間のない中学生だと思われていたでしょう。でも、決してそんなことはなかったんです。長居公園での練習や、友達とやり込んだ『フォーメーションサッカー』(ゲーム会社ヒューマンから発売された縦スクロールのサッカーゲーム)など、遊びの時間がサッカーに上手くリンクしていたんです。おそらく遊びの時間もなく、ガンバの練習だけを続けていたら、僕は競争について行けずに潰れていたでしょう。
僕が子どもたちに伝えたいのは「逃げてもいいよ」ということなんです。辛い環境から少し避難して、楽しい場所でリラックスして、また挑戦すればいい。だって、その厳しい環境を自分から捨ててしまったら、もう挑戦する場所すらなくなってしまうじゃないですか? ただ追い込むだけでは、普通の人間は潰れてしまいます。自分の中で「オン・オフ」を意識できる環境を作ることは、困難を乗り越える一つの有効手段なのだと思います。

 

高校で見つけた新たな「サッカーを楽しむ場所」

ユース(高校年代)になると、ガンバにはセレクションで勝ち残った大新井場徹(ガンバ大阪で橋本や稲本と共にプレーした攻撃型サイドバック)など、僕よりずっと上手い選手がたくさん入ってきました。中3でやっとAチームになれたのに、高1ではまた一番下からのリスタートです。「あれ? これ、中1の時と一緒やん……」って。またあれを3年間続けるのかと思うと、心が折れそうになりました。
実際に1年生の時に30人弱いた同年代のメンバーは、高3で7人にまで減っていました。それだけ厳しい環境だったんです。より苛烈な競争下に置かれた僕ですが、そこを生き残れたのは、また「楽しむ場所」を見つけられたことに他なりませんでした。
僕はガンバユースに所属していましたが、通っていた天王寺高校のサッカー部でも練習をさせてもらっていたんです。天王寺高校サッカー部は兄が副キャプテンだったこともあり、中学生の頃から練習させてもらっていて、公式戦には出られないけど、練習試合には参加させてもらっていました。

ガンバユースに通いながら、なぜそんなことができたかというと、天王寺高校は2学期制で他所の学校とテスト期間にズレがあったからです。中間テストが6月、期末テストが9月にあり、11月から2学期が始まる。だからガンバの他のメンバーのテスト期間は天王寺高校で練習し、天王寺がテスト期間の時はユースの練習を休む口実になりました(笑)。このサイクルが僕にとっての新たな「逃げ場所」になり、再び「楽しむ場所」を見つけられたんです。まさに中学と同じ3年間を、高校・ユースでもやってきたんです。

 

殺伐とした空気に包まれた高3の夏、予想もしないオファーが届く

中学1、2年はずっと先輩の後塵を拝してきて、3年生になってやっとAチームに入ることができました。高校では1年からJユースカップや日本クラブユース選手権に出させてもらいましたが、やっぱり先輩の存在が大きな壁となっていました。そうして迎えた高校3年次、やっとガンバでもサッカーを楽しめるかと思っていたら、その頃チームでは「プロ」が目前に迫っていました。

稲本と新井場は高3で、すでにトップチームに昇格していたので「次は誰がプロになれるんや?」と、チーム内が殺伐とした空気になっていたんです。でも、僕はプロになれるなんて思ってもいなくて、もともとユースに入った時点から大学進学の推薦をもらうことを目標にしていました。高3の夏、そんな僕にガンバから予想もしないオファーが届くことになりーー。

VOL.4に続く

第21回クラブユース選手権にて、中列右端が高3年次の橋本。前列の新井場、後列左の稲本はすでにトップチームに昇格し、稲本は当時最年少の17歳6か月でJリーグ初出場を果たしている。

 

PROFILE

はしもと・ひでお
1979年5月2日生まれ、大阪府出身。1998年にガンバ大阪に入団、2019年よりFC今治にてプレー。日本代表としても国際Aマッチ15試合出場。2014年にプエンテFCスクールを開講し代表に就任。

 

【スポーツ成長法則~back number~】

【#01】ガンバ育成組織と偏差値75の進学校という「究極の両立」

【#02】苛烈な競争下、“違った視点を持つ”選手に

【#03】高校で見つけた新たな「サッカーを楽しむ場所」

【#04】サッカーを通して「育まれたチカラ」とは?

 

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