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橋本英郎×嵜本晋輔│「両立」の秘訣は客観視とパラレル思考

「両立」──、言葉の響きはいいが、実行するのは難しい。それでも「スポーツも頑張ってほしいけど、勉強もやってほしい」、「スポーツだけでなく、社会に出て自立できる大人になってほしい」、そう願い、時には強要してしまう親も多いはず。そこで今回は、プロサッカーと大学を両立させた橋本英郎選手と、プロサッカー選手の経歴を持ちながら上場企業社長となりビジネスを成功させた嵜本晋輔氏の対談セミナーを開催。両立を成し得るためのヒントが詰まった興味深い内容となった。(※2020年11月に収録)

ガンバ大阪時代の先輩後輩関係

──嵜本さんにとって橋本さんは先輩ですが、どんな選手でしたか?

嵜本 僕は2001~2003年までガンバ大阪にいて、3年間橋本さんとプレーさせてもらいました。一つひとつのプレーにこだわりと厳しさがある方でしたね。練習中に少しでも気を抜いているプレーがあったら、ハシ(橋本)さんが追及するというか、それに対してきちんと対話をしていました。

橋本 僕、ガンバのときは厳しかったので。今はめっちゃ優しくなってますけど(笑)。

 

──チームによってカラーも雰囲気も変わるってことですよね。

橋本 そうですね。自分自身への要求も高くしていた分勝ちたい思いが強くて、周りに強く言うことはありました。

 

──嵜本さんはどうでしたか?

橋本 見た目はガリガリでした。頑張って筋トレをやって大きくはなったけど、「ボリュームが上がらない」って悩んでいたのは覚えています。

嵜本 間違いありませんね(笑)。

 

プロサッカー選手を引退した「前向きな撤退」とは?

──嵜本さんはガンバ大阪でプレーした後に起業して、上場企業にまで成長させるという素晴らしいご実績をお持ちです。サッカーをする子どもを持つ親御さんからすると理想なのかと感じます。私も色んな親御さんと会話する中で、「プロ選手は生命が短いし、スポーツすることってどうなの?」と不安な方も多いようです。サッカーから全く違う分野に行かれたわけですが、その時の苦労話はありますか?

 

嵜本 僕はプロサッカー選手になってわずか4年で、サッカー界からは引退しています。実は22歳の時にもうサッカーからは「前向きな撤退」を決めていました。父親が大阪でビジネスをしていて、それを継いだ経緯があるので、恵まれた環境ではあったと思います。その当時はサッカー選手を続けるという選択肢も、父親の元で仕事をするという選択肢もあったんですね。その中で、サッカー界で自分の価値がどれだけあるのか客観視したんです。これから2年3年という時間を投資しても、自分が思い描くような所までいくのはかなり難しいなと感じました。

「アスリートは1%の可能性でも賭け続けるべきだ」という考え方もありますが、僕の場合は1%を切っていたと思います。だから、ずるずるサッカーを続けるよりは、新しい自分の可能性に賭けるほうがいいのかなと考えました。振り返ると「前向きな撤退」というアクションがなければ、今の自分自身はなかったと思います。大好きなサッカーで、夢だったプロサッカー選手になれて、その立場を手放すのは勇気がいりました。でも自分の可能性を信じて次の世界に飛び出していった結果、自分の才能を呼び起こせたと思います。だから、その時の判断は良かったと自分では感じています。

 

──今思えば冷静に、客観的に自分を分析されたということですね。その自己分析はサッカーを通して学んだことなのか、元々の性格なのか、どちらでしょうか?

 

嵜本 理由は正直分かりませんが、父親が商売人だったことも関係しているのかもしれません。実はガンバ大阪をクビになったときは、「いかに見返すか」しか考えていなかったですね。正直今思えば、全くと言っていいほど成果を出せていませんでした。でもその時は、「なんで俺だけクビになったんだ」という被害者意識の感情がありました。自分の能力を認めてもらえなかった悔しさを、次のチームでぶつけてやるという感情で、JFLというカテゴリーの、佐川急便のサッカーチーム(佐川急便大阪SC)に入りました。そこでは十分通用したので、チームの中心人物になってJ2、J1に這い上がっていけると思っていたんです。でも実際にプレーしてみると、自分の思い通りにいかない日々が続きました。

ある時、自分自身に覆いかぶさっている感情があることに気づきました。「俺はここまでサッカーをやり続けたから、ここで諦めたらだめなんだ」――そんな感情です。人間は多くのシーンで感情に意思決定を遮られて、正しく判断できない場合があります。僕はその感情を一旦横に置いたことで、初めて自分を客観視できました。

 

──「客観視」は人生の岐路で負のスパイラルに陥らないために、すごく大事な要素ですよね。橋本さんにもこういったエピソードがあったと記憶しています。

 

橋本 30年近く前、中学1年の時ですね。今の話を聞いて、すごく考えさせられました。僕はズルズル行ってしまうタイプなので、大胆な切り替えができていないなと。

 

──いえいえ。橋本さんは文武両道、両立を成しえた方です。天王寺高校という進学校に通いながらガンバユースにも行くという、理想的な文武両道だと思います。

 

橋本 その当時はしんどくて、それが理想だとは個人的に思っていませんでした。高校サッカーでやりたい、という気持ちがあったんです。でも僕らの頃は選手権やインターハイに出たいと思っていました。そうするとガンバはクラブチームなので、そういうもの(高体連)から外れちゃうんですよ。マネージャーもいないし、全然雰囲気が違いましたね(苦笑)。

「前向きな撤退」から、ビジネスの世界で大きな成功を収めた

スポーツで得られたものが両立の手助けに

──実際のところ「進学」という要素は、人生の中で高い割合でしたか?

 

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