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INTERVIEW

INTERVIEW

多治見麻子│「困難を乗り越えることで、人は変われる」

日本代表として3度五輪に出場し、トップランナーとして走り続けた多治見麻子。現在はV1リーグ日立Astemoリヴァーレの監督を務める傍ら、ジュニアバレーボール教室や後進の指導を行っている。12年ぶりの五輪選出、Vリーグ栄誉賞の受賞等、21年の現役生活で数々の伝説を残した名センターがバレーボールで得たもの、そして後進に伝えたいこととは?

写真提供/© Hitachi Astemo Rivale

 

高い目標に向かう難しさ上手くいかいことの方が多い

──多治見監督がバレーボールを始めたきっかけは?

 

「母がママさんバレーをしていた影響で、小さい頃から遊び場所が体育館という環境で育ちました。母が実業団でプレーしていたこともあり、無理にバレーボールをしなさいと言うのではなく、自ら自然にバレーボールを始めました。母がバレーボールについて何かを言うことはなく、ずっと静かに見守って応援してくれていました」

 

──八王子実践高校時代は春高バレーの優勝を経験されました。当時指導者から学んだことは?

 

「八王子実践は当時、毎年全国制覇を掲げるような強豪校でした。それこそ『二位は最下位と同じ』というプレッシャーの中で、高い目標に向かって頑張っていく難しさ、また上手くいかないことの方が圧倒的に多いなかで諦めずに戦うこと、チャレンジしなければならないことを高校時代に学ばせてもらったと思っています」

 

──1997年には全日本代表の主将を務められていますが、チームをまとめるために心がけていたことは?

 

「当時、前年のアトランタ五輪の予選負けから、チームは4年後のシドニー五輪に向けて若手メンバーに切り替えている最中でした。経験値が豊富ということで私がキャプテンに抜擢されましたが、自分自身のプレースタイルも定まっていないなか、チームを引っ張るだけで精一杯という感じでした。リーダーシップを発揮するというより、自分のできることだけをやって、日々悩んでいました。日の丸を背負うことの重大さ、それを分かっていない若いメンバーもいる中、私はキャプテンらしいことをしてあげられなかった。当時は苦しい思い出の方が多いですね」

 

──ケガの影響で2000年のシドニー五輪予選に出場することができず、引退も考えられたそうですね。

「バレーボールを続ける=日本代表として五輪に出場することでした。それを失ったことで、目標がなくなってしまったんです。でもこのままケガで引退するのではなく、最後はもう一回あのコートに立ちたい、今やれるベストを尽くしてから引退しようと思うようになりました」

 

 

引退するまで自分に満足できなかった

──2007年には日本代表に復帰されました。どのスポーツでも8年のブランクから再び代表に選出されるのは珍しいケースだと思います。

 

「シドニー五輪の後は、目標が日本代表・五輪ではなく、目の前の一年を自分が納得するまで全力でやり切ることに変わっていました。一年、また一年を過ごし、それでも引退するまで自分に満足できなかったんですよね。自分はまだ上手くなれるし『もっと、もっと』とチャレンジを続けた結果が、2008年の北京五輪でした。アトランタから、シドニー、アテネと2大会のブランクを挟んで12年ぶりの五輪出場。36歳という年齢であの舞台に出られたのも、チャレンジを継続したからこそ、だと思います。21年の選手生活で努力した道のり・経験が、今指導者としての礎となっているのは間違いないです」

 

──現役を引退し、指導者の道を選択すると同時に早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科に入学をされていますね。

 

「早稲田大学院では、あらゆる事象を数値化し、論理的にバレーボールを伝える方法を学びました。バレーボールの経験があることと、それを人に伝えるのは別のことで、話した相手に伝わらなければ、結局教えてることにもなりません。コミュニケーションの手段はさまざまですが、私は後進にバレーボールの奥深さを伝えられたらと思っています」

 

──伝える部分で努力されていることは?

 

「指導をしていると、どうしても感情に走ってしまうことがあると思います。そこでしっかり数字を出して根拠を持って伝えることで、選手が理解できることもあります。気持ちの部分、数字の部分、どちらが正しいということではなく、そこは両輪のような関係で、使い分けが大事なのだと思っています」

 

──指導者として現在は日立Astemoリヴァーレで監督を務められています。選手指導をする上で心がけていることは?

 

「指導して思うことは、『正解はない』ということです。人と人ですから、いくら理論だけ伝えても、選手は動かないし、気持ちだけで言っても人は動きません。長く現役を続けてきて一番に思うのが、本人が最終的にどうなりたいか、なのだと思います。それは人に言われるものでなく、自らが定める目標を見つけること。そこに行くまでの道筋を我々指導者がサポートしてあげることが大事なんだと思います。

 やはり高い目標に向かって頑張るからこそ、人は上手くいかないこと、苦しいことに直面します。それを乗り越えた先に掴めるものがあり、そこに人が変われるチャンスがあるのだと思っています。 指導者目線だと『ここを乗り越えればこの選手はもっと変われる!』とわかっていても、気持ちがついていかずに辞めてしまう選手もいます。今も毎日が勉強で、人に教えることの難しさを感じてます」

 

 

最終的にどうなりたいか、指針となる目標設定が重要

 

──高い目標を掲げて努力した後、それが叶わなかったときはどう受け止めるべきと思いますか?

「大会で優勝するチームは1チームしかありません。ほとんどの選手が敗者になるわけです。でもそこに至るまでのチャレンジ、トライしたプロセスがすごく大事なのだと思います。私は五輪でメダルは獲れなかったですが、一生懸命自分に負けずに頑張ってきた経験が自分の財産になっています。各々、目的はさまざまだと思いますが、最終的に自分がどうなりたいのか、その指針となる大きな目標を持てることが重要なのだと思います」

 

──Vリーグの監督以外にも、子どもたちに向けたバレーボール教室も開催されています。子どもたちと向き合う時に心がけていることは?

「バレーボールは楽しいものだと知ってもらいたいです。私も長く現役を続けて、今も指導者として携わっていられるのもバレーボールが好きだからです。子どもはそのスポーツが好き、楽しいって思えることが何より大事だと思います」

 

──その「楽しさ」に気づけるために意識していることは?

「子どもであればスパイクが決まって嬉しいとか、できないことができる喜びを知ってもらうアプローチですね。もっと上の年代であれば、バレーボールは相手がいるスポーツなので、相手との駆け引きであったり、本質的なことが理解できると、もっと楽しさに気づけます。それはやれと言われて見つけるものではなく、自らが一生懸命取り組むからこそ、本質を理解できるようになるのです。我々はその成功体験が生まれるための環境を用意してあげることが大事なのだと思っています」

 

スポーツを通して人生を凝縮して経験させてもらった

──かつてバレーボールは長時間の練習やスパルタのイメージがありますが、現在はいかがでしょうか?

「今はほんとに変わりましたね。世の中の趨勢として、今当時の指導をしていたら大変なことになります(笑)。でも選手を成長させなくてはいけないので、本人にどう納得させて動いてもらうのか。その伝え方、アプローチの仕方が、今指導者として問われていると思います。

 例えば、私は『怒る』と『叱る』は別のものだと思っています。バレーボールはチームスポーツなので、コートの中で選手が与えられた役割を果たさないと組織として成り立ちません。私もつい感情的になってしまうことがありますが(苦笑)、選手の成長のためにも叱るべきところは叱る、伝えなくてはいけないことはしっかり伝えないといけません」

 

──多治見監督がバレーボールを通して得られたことは?

 

「人生ってすごく長いじゃないですか。その中でいいこともあれば悪いこともある。喜び、挫折、感動とすごくたくさんの経験を、私はバレーボールというスポーツを通して、ぎゅっと凝縮して経験させてもらったと思っています。バレーボールはチームスポーツなので、人との関わり方、自分の表現の仕方など、社会で必要な素養を学ばせてもらいました。それが確実に今に生きていると思います」

 

──最後に全国のバレーボール指導者にアドバイスをお願い致します。

 

「色んな監督さん、指導者がいて、さまざまなアプローチがあると思います。でも、一番はその指導者がどれだけ熱意をもっているかだと思います。私も伝え方が上手な方ではないのですが、指導者が一生懸命取り組んでいれば、選手はついてきてくれます。選手は指導者が思っている以上に、指導者を見ています。そのことを伝えたいですね」

 

 

PROFILE

多治見麻子(日立Astemoリヴァーレ監督/元全日本代表)
1972年生まれ。東京都出身。実業団でプレーし、その後ママさんバレーをしていた母親の影響で小学校からバレーを始める。バレーボールの名門・八王子実践高に進学。同校バレーボール部のエースとして春高バレー優勝等を経験。1992年にバルセロナ五輪代表、1996年にアトランタ五輪代表に選出され、2008年、12年ぶり三度目となる北京オリンピック出場を果たした。2012年5月に現役を引退。指導者として2016年にトヨタ車体クインシーズ、2019年より日立Astemoリヴァーレ(当時は日立リヴァーレ)の監督を務める。2015年早稲田大学大学院 スポーツ科学研究科修了。

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