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INTERVIEW

INTERVIEW

宮本恒靖│「アップデートし続ける人生の方が面白い」

U-17日本代表からSAMURAI BLUE(日本代表)に至るまで日本代表の全カテゴリー、そして所属クラブすべてでキャプテンを務めた宮本恒靖氏。その圧倒的なキャプテンシーはいかに育まれ、どのように組織をまとめてきたのだろうか。現役引退後も探究を続ける人生観についても伺った。写真提供/© GAMBA OSAKA

俯瞰で考える機会に恵まれた幼少期

──小5からサッカーを始め、中学年代でナショナルトレセン、U-15日本代表候補に駆け上がりました。金剛中学校時代はどのようにサッカーと向き合っていましたか? 

 

「そこまでレベルの高い環境でやっていたというわけではなくて、楽しんでサッカーをしていました。今のようにカリキュラムがしっかりと組まれているような時代でもなかったですし、怒られるようなこともなく、伸び伸びとやらせてもらいました。部活の顧問の先生が忙しくされていたので、2年生の後半ぐらいに新チームのキャプテンを任された時に、『練習を見てメニューを考えてくれ』と言われたんです。どうすれば飽きさせない、面白い練習ができるのか。どうすれば選手がそれぞれ持っている特徴をうまく融合できるのか、そんなことを考えるきっかけになったと思います」

 

──人を見る能力がその頃から養われていたのですね。

 

「中学生の頃、大阪府や関西地区のトレセンに行くと自分よりもレベルの高い選手を目の当たりにしました。彼らと自分を比較して、何が足りないのか、何をしなければ彼らに追いつき追い越せないのか、ということを考えるようになりました。そこで自分を客観的に分析する能力が身につき、自然と目線を上げることにつながっていったと思います。大阪府の次は関西、その次はU-15日本代表と自分に足りないことを考える作業を続け、自分のチームに帰ってきたときに課題を明確にして練習をする。そんなことを繰り返していました」

 

──ガンバ大阪ユースでは初代キャプテンをつとめ、3年間チームをまとめる役割を担いました。当時、なぜ自分がキャプテンに選ばれたと思いますか?

 

「3年間キャプテンを務めたのは上級生がいなかったことと、周りが自由すぎる選手ばかりだったからだと思います(笑)。プレーこそ真面目にやっていましたが、僕は周囲よりも技術が高いわけではなく、背中で引っ張っていくようなタイプではありませんでした。上野山(信行)監督(当時)に直接聞いたわけではないので想像でしかありませんが、一歩引いて俯瞰してチームの方向性を見ていたのは、他の選手とは違った点なのかとは思います」

 

両立を成し得たタイムマネジメント

 

──ユース時代は各年代で日本代表に選出され多忙を極めるなか、府内有数の進学校である生野高等学校に通われていました。どんな一日をデザインしていたのでしょうか?

 

「通学の朝7時にラッシュアワーの電車で小テストの勉強をして、授業が終わったあとガンバの練習場に向かう電車の中で半分は勉強し、半分は睡眠をとって練習に備えました。練習後は電車の中で友達としゃべって、一人になる残り半分の時間は勉強をしていました。例えばテスト直前であれば急行ではなく座れる各駅停車を選んで勉強して帰るという感じです。勉強もサッカーも両方大事にしていたので、移動時間をうまく使っていました」

 

──その集中力はどこから?

 

「基本的に目の前のことに集中するようにしています。例えば、今はこのインタビューもそうです。練習であればそこに100パーセント集中するし、電車の移動時間であっても20分やると決めたら、それをやりきるようにしていました」

 

──宮本さんはガンバ大阪でプロとして活躍しながら同志社大学経済学部に通い5年半かけて全単位を取得されていますね。

 

「まずは、ガンバ大阪に入団するにあたり、大学生としての生活も認めてもらえたことが大きいです。午前と午後の練習の間に大学の講義を受けることも許されていましたし、物理的に練習場所と大学が近かったこともあります。もちろん、プロとして成功する、日本代表に入るという強いモチベーションをもってやっていましたが、サッカー以外のことも学びたい、吸収したいという思いがあったので両立を続けられたのだと思います」

 

──2000年からガンバ大阪で、その後ザルツブルク、ヴィッセル神戸と所属クラブすべてでキャプテンを務めました。宮本さんが組織づくりとしてチームを良い方向に進めるために意識してたことは?

 

「それぞれの個の強みをグループの中で活かせるように、さまざまなアプローチをしていたように思います。それは代表においても、クラブにおいても、やはりみんなが一つの方向に向くように心がけていました。ネガティブな要素を抱えながらプレーするより気持ちよくプレーできる環境づくりのためにコミュニケーションを重ねていたと思います。クラブや監督がチームとしてのビジョンや目標設定を掲げ、選手である僕はキャプテンとしてボトムアップ的なアプローチで雰囲気のいい練習ができるように声掛けなどをするようにしていました」

 

 

経験値だけで生きていくのはつまらない

 

──日本代表で長年キャプテンを務め、U-17日本代表から全カテゴリでキャプテンを経験してきた宮本さんですが、個性が集う代表チームで意識したことは?

 

「より時間がない中で結果につなげないといけないので、特にオフ・ザ・ピッチのところでの会話が増えたと思います。海外から途中で参加する選手がいましたから、食事、会場、移動中、あらゆる場面で現状の説明などに時間を割いていました。もともと日本代表としてプレーすることの誇りを分かっている選手たちなので、勝利のために方向性を一つにする重要性は全員が理解しています。ただし、ワールドカップなどの長期間にわたって活動する大会では、試合に出場できる選手と出場できない選手との間で、少しだけ方向性がずれてしまうことが稀にあったりします。そういった点で上手くまとまっていたのが2002年の日韓大会でした」

──現役引退後、宮本さんはFIFA(国際サッカー連盟)が運営する大学院FIFAマスター(第13期)に合格し、日本人元プロサッカー選手としては初めての卒業生となりました。

 

「引退後に自分がどういうキャリアを歩むのか、未確定の中でも新しいものに触れる必要があると思いました。それまでの経験値だけで生きていくのではなく、学び続ける、アップデートし続けることの方が人生はずっと面白い。当時も、そして今もそのように思っています。FIFAマスターの件も“日本人サッカー選手で初めて”などのことは全然意識していなくて、世界中からいろんな人が集まる機会が面白いと思ったからです。当時のつながりは今もあって、今後も活きていくと思います」

 

──2016年にガンバ大阪のユースの監督を務められましたが、育成年代を指導する上で心がけていたことは?

 

「育成年代では練習をやっていて面白い、とか少しでも成長できてるなと感じてもらえるようなトレーニングを心がけていました。選手が持ってる個性を大事にしてあげたいと思いますし、その元来持ってるものを尊重しつつ、アプローチの仕方を変えながらやってきました。やはりプレイヤーズ・ファーストとして、選手をよくしてあげることがスタート地点にある中で、彼らを成長させられる環境、その下地作りをするためには、指導者の知識もすごく大事になると思います。その知識が 20年前のものでは、絶対に現状とは合致しないだろうし、学び続けることの意味はそういったところにもあるのだと思います」

 

──学び続ける、という姿勢はどこからくるのでしょうか?

 

「現状に満足していては、衰退にしかならないでしょう。自分自身のレベルアップにつながれば、それは面白いことだと僕は思います」

 

 

 

人は可能性を秘めている。探究しない手はない

──人はどうしても目の前のことに向かいがちですが、広い視野で物事を考える必要があるのでしょうね。

 

「僕はプライオリティを考えないようにしています。だからセカンドキャリアという言い方が好きではなくて、同時進行でいいと思うんです。例えば3本の道があるならそれらを歩み続けるべき。もっと欲張りでいいと思うんですよね。これだけに集中しなきゃいけないってことはないし、工夫次第で時間は作れます」

 

──宮本さんがユース時代から実践してきたことですね。

 

「だから文武両道っていう言葉もあんまり意味がないと思います。文と武は選ぶことじゃなくて、両方あるのは当たり前のことですから。例えば私はサッカーから学んだことは本当にたくさんありますが、それが自分からなくなった時に、自分はどんな人間なのかということだと思います。人は色んな可能性をそれぞれ秘めてると思うから、それを探究しない手はないと思います。子どもであれば、それを探す必要もないくらいやることが溢れていますからね」

 

──宮本さんは「スポーツで得られるチカラ」とは何だと思いますか?

 

「もうほぼ全部と言って過言ではないです。人をリスペクトすること、自分の意見を述べること、人から学ぶこと、自分を律すること、自信を持つこと、負けたことから学ぶこと、困難を乗り越えること──、その全てがそこに詰まっていると思います」

 

PROFILE

宮本恒靖(日本サッカー協会理事/元日本代表)

1977年2月7日生まれ。大阪府出身。ガンバ大阪ユースで3年間キャプテンを務め、94年にJユースカップで優勝。ガンバ大阪トップチームにクラブで初めて昇格し、同時期に同志社大学経済学に進学。ガンバ大阪、オーストリアのレッドブル・ザルツブルク、ヴィッセル神戸と所属クラブ全てでキャプテンを務め、日本代表では二度のワールドカップで出場し、U-17日本代表からSAMURAI BLUE(日本代表)に至るまでの全カテゴリでキャプテンを務めた。2011年に現役を引退し、翌年に日本人元プロ選手としては、初のFIFAマスター卒業生となった。2016年にユース、2018年から監督としてガンバ大阪を率いて2020年はリーグ2位・天皇杯準優勝の成績を残した。2022年に日本サッカー協会理事に就任。

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