学歴重視の日本教育において、大学入試の評価基準は認知能力に偏る傾向にあります。しかし、それだけでいいのでしょうか? 実際に社会に出たときに、協調性や統率力、判断力などの非認知能力がある人材とそうでない人材とでは、会社はどちらを必要とするでしょうか。給料を決める要因を需要と供給から考察する「労働経済学」を専攻する佐々木勝教授(大阪大学大学院経済学研究科)は、認知能力に偏った学力重視の日本教育に異を唱えます。「スポーツ経験者の将来賃金は1割増加する」という興味深い研究結果をもとに、スポーツ教育の真の価値を経済学の視点から伺いました。
目次
投資に対するリターン=給料の多寡は
2つの能力の成果によるもの
――非認知能力は可視化できないために、投資へのリターンと捉えるのが難しいのかもしれないですね。
「本来、教育への投資の対するリターンは、子どもが成人し大学を卒業して企業に就職した後の給料になるわけです。でも、この給与がなぜ達成できたかというと、親は今まで勉強してきた、教育だけの投資によるものと考える。そうではなく、勉強をし、なおかつ部活で頑張って非認知能力を鍛えたからこそ、この賃金が達成されたと捉えるべきなんです。教育には認知能力と非認知能力の2つの効果が分かれているはずなのに、教育により高められた人的資本の多寡は認知能力の違いだけだと思っています。それは間違いです」
――前回のお話でも、スポーツ経験者の賃金増についての研究結果はアメリカの大学によるものとのことですが、そのほかにも興味深い知見はありますか?
「アメリカではジェンダー平等の観点からもスポーツ活動のあり方の意識が高いです。1972年に制定されたTitle IX(タイトル・ナイン)という連邦法により、連邦政府からの補助金を受けている教育機関において、男女が平等にスポーツに参加する機会が定められましたが、ミシガン大学の研究結果によると、これにより女子高生のスポーツ参加率が上昇し、それに伴い女性の大学進学率、労働市場の参加率も上がったと発表されています。健康増進、生活習慣の改善という意味でも、運動はしなくてはいけないものです。お子さんの長期的視野を考えれば、今後、スポーツに対する教育的な価値感を変えていく必要があるでしょう」
――佐々木先生がスポーツで培われる非認知能力としても挙げられていますが、ストレスに直面した際の適応力である「レジリエンス」の向上は、近年、企業の研修やトレーニングでも積極的に採用されていますね。
「社会人になれば、いくらでも負けを経験することになります。契約をとれない、同期が先に昇進したということもあるでしょう。ある意味、人生で勝ち続けることはありえない。人生には負けることへの耐久性が必要なんです。ずっとトップにいて、難関大を入学した人が何かが原因で躓くことがあるとダメになってしまう、というのを聞いたことがあります。その意味ではスポーツで負けを経験できることは、耐久性を養ういい機会なんだと思います。それが集団競技であれば、その負けを仲間とシェアすることもできます。スポーツは実社会を疑似的にトレーニングできる機会でもあるのです」
――集団競技に置き換えると分かりやすいですね。
「スポーツには集団競技と個人競技があり、人間形成においてそれぞれにメリットがあると思いますが、非認知能力における教育効果は集団競技の方があると思います。チームを組む、人間関係を構築することは社会に出ても一緒で、人との関わりなしには前には進めません。チーム内で仲違いすることもあれば、反発し合うこともあるでしょう。集団競技でキャプテンを務める子は、それらをまとめ上げ、解決する重責を担うことになります。そのような子は、社会人になった時にはすでにリーダーシップの技能が備わっているわけですから、企業としてはほしい人材ということになりますよね」
――同じ部活でも文化部での活動はいかがでしょうか?
「非認知能力を養う機会は文化部でも当然あります。運動部における試合が、文化部では発表会などの催しに置き換えられると思いますが、目標に向かって個人・団体での協調性やコミュニケーション力、やり抜くチカラを養うことは運動部での活動と同じことです。生徒会活動を含めた課外活動を通じて、統率力などの非認知スキルをさらに向上することができるわけです」
スポーツ経験の有無と賃金は
相関しているという研究結果
――日本では親の考え方として「スポーツじゃ食べていけない」という固定観念が根強いと思います。だからスポーツを直接的に教育と捉える認識が低いのかと。
「少し前ですが、大学でスポーツを経験した卒業生とそうでない卒業生にアンケート調査を行い、現時点での賃金、給料の比較をした研究がありました。そこでの結果は、サークルを含めて、スポーツをしていた卒業生の方が給料が高かったんですね。さらにその多くが第一希望の企業に就職できていたそうです。同じ大学の出身者ですから、教育の投資・認知能力が一緒とすれば、大学でスポーツをしたことによって賃金が変わったということになります。もちろん、データの偏りはあるでしょうし、もっと大規模でやればいいのでしょうが、非認知の能力のリターンを抽出できる研究結果の1つだと思います。中にはそもそも頭がいいから、勉強は短時間で終わり、時間が余っているのでスポーツをできる余裕もある、という見方もありますけどね」
――スポーツしたから賃金が上がっているのではなく、もともと頭がいいからテキパキと仕事ができるし、そしてスポーツをする余裕ができると?
「そうですね(笑)。研究結果としてスポーツ経験の有無と賃金は相関していることに間違いないわけです」
――佐々木教授の数多くの教え子が、現在社会で出られていられると思いますが、スポーツ学んだ学生の方が社会でチカラを発揮しているという実感はありますか?
「社会的に成功しているかどうかは分かりませんが(笑)、体育会系に限らず、概ね就職は上手くいっているように思えます。ある学生は全ての体育会をまとめる委員会の会長をしていて、すぐに大手の飲料メーカーに就職が決まりました。スポーツを通じて、リーダーシップ、統率力といった非認知スキルを高めて、それが評価されたのでしょう」
親が心配するのは子どもの就職先まで
社会で生き抜く能力を重要視すべき
――佐々木教授は、勉強とスポーツの両立の実践者でもありますが、アドバイスはありますか?
「そうですね……、今の大学生を見て思うのは、“生き急いでいる”印象があります。横並び意識が強くて、浪人したり、交換留してみんなより遅れて卒業するのはイヤだったりと。与えられる時間は誰もが共通で限られていますから、新しく何かをするには必然的に別のものを削らなければいけないわけです。私は高校で陸上に真剣に取り組みすぎたからなのか(笑)、大学受験で浪人してしました。当時は同級生から遅れることに劣等感を感じましたが、今思えばたかが人生の1年遅れるだけです。あとで挽回すればいいわけです。現役合格にこだわるから、時間の余裕がなくなるんです。長い目で見ればスポーツした方がいいし、浪人しても別にいいと思います。スポーツで培った根性があれば浪人し勉強して、いい大学に行けるでしょうから」
――自戒を含め、親も子も目先のものを優先してしまう傾向にありますね。
「今欲しい、ではなく、10年、20年後を考えたほうがいいです。親としては子どもの就職先までがすべてで、そこから先のビジョンがないのが多数派だと思います。22歳でどこに就職するのか、それだけではあまりに近視眼的になってしまいます。終身雇用が崩壊した日本社会で、一部上場企業で生涯ずっと働き続けていけるとは限りません。それよりも、子どもが就職した後の社会を生き抜くためのスキルを身につけるべく、サポートすべきだと思います。教育への投資を認知能力だけでなく、非認知能力を養うことが『リターンの上積み』であると理解してほしいですね」
PROFILE
- 佐々木勝(大阪大学大学院 経済学研究科 教授)
- アメリカのテンプル大学教養学部卒業後、ジョージタウン大学でPh.D.(経済学)取得。世界銀行(ワシントンDC)コンサルタント、アジア開発銀行(マニラ)エコノミストを担当。帰国後、関西大学、大阪大学社会経済研究所を経て2012年4月から現職。専門は労働経済学。
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