ビジネスの戦略決定や市場分析のほか、政治など多分野で応用される「ゲーム理論」を専門に、アメリカの名門大学で教鞭をとる鎌田雄一郎氏。社会において複数の人や組織が意思決定を行う場合に、どのような行動が取られるかを予測する「ゲーム理論」のスペシャリストは、トップアスリートの思考をどう解析するのだろうか。「bizFESTA」にて、 WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太選手と対談した鎌田氏。若き天才ゲーム理論家が、たった一度の対談を基に<王者の意思決定>に至るメカニズムを複合的な視点でひもといていく。
村田選手の細分化法を、アカデミアに応用してみる
村田選手の細分化法を応用するケーススタディとして、少し私の話をしよう。
私が身を置くアカデミアでは、「結果」というのは論文が学術雑誌に掲載されることである。しかし論文を書けば必ず掲載されるというわけではなく、論文を学術雑誌に送ると、編集者(典型的には、学会の大物)がその論文の分野に明るい研究者を3人ほど選び、レポートを依頼する。この研究者たちは、査読者(英語で「レフェリー」)と呼ばれる。これら査読者たちのレポート(論文内容の要約と、いいところ悪いところなどが書かれ、結局論文を掲載すべきかどうかの推薦が書いてある)をもとに、編集者が掲載可否を決定する。
だからせっかく何年もかけて大論文(と、自分では思っているもの)を書いて学術雑誌に送っても、掲載されないこともある(ちなみにそのような場合は、もう少しレベルの低い他の学術雑誌に投稿し、同じプロセスを歩むことになる)。トップレベルの雑誌だと、掲載率が10%を切ることもある。
ここにも、村田選手が細分化したような4つのパターンがある。
1. いい論文が掲載された
2. あまりいい論文ではないけど掲載された
3. いい論文なのに掲載されなかった
4. あまりいい論文ではなく、掲載されなかった
よく考えると、村田選手が言っていたのと同じように、「あまりいい論文ではないけど掲載された」と「いい論文なのに掲載されなかった」が、次に繋げるのが難しい。
「あまりいい論文ではないけど掲載された」場合は、最初は「ラッキー!」と思うわけだが、時間が経つとどうしても、「いい論文だったから掲載されたんだな」というふうに勝手に論文の自己評価を上げてしまう。これでは、「いい論文」の自己スタンダードが下がってしまい、研究の質に影響してくる。
「いい論文なのに掲載されなかった」(と少なくとも自分が思っている)場合(「疑惑の判定」のケース)は、まず精神にこたえる。大概、「査読者は何も分かっていない!」と悪態をついてみたり、「だからこの学術雑誌はダメなんだ」と偉ぶってみたりする。でも次投稿する雑誌には是非とも掲載させたいので、時には(元からいい論文だったのに)必要のない修正まで加えて論文を改悪してしまうこともある。エンダム選手との再戦に備える村田選手のようなものだ。

2017年5月20日、WBA世界ミドル級王座決定戦ではアッサン・エンダム相手に優位に試合を進めながらも“疑惑の判定”でプロ初黒星を喫した。僅か5カ月後のリマッチでリベンジを果たしたが、「内容のある負け」は調整段階から村田選手を苦しめた/Getty Images
「客観視」が強さの秘訣
私は、村田選手がエンダム戦再戦に向けて、「結局思うように調整ができなかった」と回顧していることに面白さを感じた。勝敗を細分化し、自己を客観視する。世界王者がそこまでしても、うまくいかないこともある。
人は結果がついてくると、それを美化しがちだ。成功があれば、そこに理由を見出す。「努力が実った」と思いたくなっても不思議ではない。しかし村田選手は、できていなかった調整をできたことにするのではなく、冷静に「調整はできていなかった」と認めている。
また、オリンピックの金メダル後も、ただ単に金メダルを喜んで「今までのトレーニングが報われた、全て良かったんだ」と美化するのではなく、「メンタルもコンディションも悪かったのに勝ててしまった。その後の練習もうまくいっていない」と冷静に自己分析している。
このように自己を客観視できることが、これまた村田選手の強さの秘訣なのかもしれない。
私も「いい論文なのに掲載されなかった」場合に論文を改悪してしまっている可能性があるので、次の学術雑誌に投稿する前に一度立ち止まって、「本当にいい論文になったのか?」ということを問いたいと思う。また、「あまりいい論文ではないけれど掲載された」場合には、むやみに自己評価を上げず、次の論文こそは質の高いものを仕上げられるよう、努力したい。
幸い、私には時間がある。ボクシングの試合は、あらかじめ決められた日時に行われるので、調整うまくできていなくても試合を避けることはできない。翻って、論文投稿は期限のあるものではない。だからもし変更を加えたければ、思う存分変更を加えて、質を高めてから、投稿できるのだ。
読者の皆さんの仕事においてはどうだろうか。仕事の結果を村田選手のように4つに分類し、今自分がどこにいるのか客観視するところから、始めてみよう。
PROFILE
- 鎌田雄一郎(かまだ ゆういちろう) | カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院准教授
- 2007年東京大学農学部卒業、2012年ハーバード大学経済学博士課程修了(Ph.D.)。イェール大学ポスドク研究員、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院助教授を経て、テニュア(終身在職権)取得、現在同校准教授。NTTリサーチサイエンティスト、東京大学大学院経済学研究科グローバル・フェローを兼任。専門は、ゲーム理論、政治経済学、マーケットデザイン、マーケティング。著書に『ゲーム理論入門の入門』(岩波新書)、『16歳からのはじめてのゲーム理論』(ダイヤモンド社)
【若き天才ゲーム理論課家による至高の意思決定/鎌田雄一郎~back number~】
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