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<前編>日本、オーストラリア、タイ
海外から学ぶサッカー教育のあり方

 

国が違えばスポーツ教育も変わります。それはサッカーも例外ではありません。海外の教育方法を知ることで、自国の課題が見えてくることもあります。日本、オーストラリア、タイ。3か国でそれぞれサッカーコーチを務めており、選手としての経験も持つ3名の指導者をゲストに招き、それぞれの教育論やこれからの課題をパネルディスカッション形式で語り合っていただきました。そこには、さまざまな驚きや発見がありました。

 

スポーツ大国・オーストラリアでのサッカーの現状

ーー本日はお忙しい中、お集まりいただきどうもありがとうございます。

三上さんはオーストラリアでコーチされていますが、オーストラリアサッカーの現状をお聞かせいただますか?

三上 オーストラリアはスポーツ大国と言われていて、色々なスポーツが子どものころからできます。その中でもサッカーの競技者人口が、ラグビーを抜いて最も多くなりました。昔はサッカーのエリート層というと、学校サッカーとクラブサッカーを掛け持ちする感じでした。現在はトップを目指すならクラブサッカーが重要ですね。私立校同士の試合は良くありますが、そこからプロに行くという感じではありません。学校サッカーは、体育の延長線上といった感じです。

ーー日本からオーストラリアに行ったときに驚いたことはありますか?

三上 実は生まれがオーストラリアのシドニーなんです。育ちは日本ですが、オーストラリアにはちょくちょく来てました。夏休みくらいに、1か月半くらいサッカーから離れた時期がありました。親の仕事の関係で地元の大学の寮に泊まることが多かったのですが、ラグビーしている人をすごく多く見かけました。今は、大学でもサッカーしている人が多くなりましたね。

 

移民と共に移り変わってきた、オーストラリアサッカーの歴史

三上 元々は、150年くらい前にイギリス移民が色々なチームを作ったのが始まりです。その時は、同じ地方の出身者同士がチームを組んでいました。そこから100年後くらいに、南ヨーロッパや東ヨーロッパの移民が入ってきました。彼らが作ったチームが、今のオーストラリアサッカーのベースになっています。トップのAリーグができたのが2004年で、それまではNSL(National Soccer League)というリーグがありました。毎年20チームくらいエントリーしていますが、ほとんどのチームはイギリス系ではなく、イタリア、クロアチア、ギリシャなどからのヨーロッパ移民でした。出資しているオーストラリアのサッカー協会は、毎年数十億単位の大赤字だったようです。また、異なるルーツを持つチーム同士の試合があると、サポーター間で政治や民族がらみの抗争に発展することもありましたね。

 

ーーそうなんですか!?

三上 はい、そこで外資系スポンサーを率いてできたのがAリーグです。かつてNSLに所属していて、Aリーグに上がったクラブはほとんどありません。NSLは、移民色が強いクラブが多かったですね。それらのクラブは州リーグという形で離れました。それが、今のNPL(National Premier League)という2部相当のクラブのバックグラウンドになっています。このように、オーストラリアサッカーの歴史は移民の影響を大きく受けています。プロクラブのベースが、実は小さなコミュニティクラブだった、なんてことも。ビエリもイタリア代表ですが、オーストラリア系移民です。

大槻 A代表の選手はヨーロッパで育成された人が多いですね。

三上 そうですね。ヨーロッパでは、ルーツの国のパスポートが比較的簡単に手に入ります。だから、ヨーロッパからの移民は、親族の国に滞在しやすいんです。また、ヨーロッパではプロリーグもビジネスモデルとして確立しています。それで、オーストラリアにいるよりも育成年代が成長するし、プロになりやすかったと思います。さらにEUもできて、ヨーロッパ移民でも外国人扱いされにくくなりました。だから、ローカル選手と同等の能力があれば、クラブに入りやすいですね。例えばハリー・キューウェルはイギリス系で、親族の国であるイギリスでオファーを受けてプレーしていましたね。

 

ーー三上さんもオーストラリアでプレーされてましたが、ご自身の経験もふまえて、移民やナショナリズムについてどうお考えですか?

三上 僕が大学卒業後にオーストラリアに渡って15年ほど経ちます。当時僕は2部リーグでプレーしていましたが、ほんの数年前まではトップリーグでした。Aリーグが出来てから、実質2部相当扱いに落ちたんです。Aリーグはフランチャイズクラブという感じで、多くのチームがクラブライセンスを持っています。ユニフォームは違えど、1つの組織が10クラブくらい運営しているという感じです。僕のチームメイトは移民の第2、第3世代という感じで、父や祖父の出身国への思い入れを持つ人が多かったですね。2006年ワールドカップでオーストラリアが躍進しましたが、代表の多くがイタリア、ギリシャ、クロアチアの移民でした。クロアチア系のトニー・ポポビッチやジョーイ・ディドゥリカ、イタリア系のジョン・アロイージなどです。僕と同じでナショナリズムに対しての意識が薄かった同年代、まだ移民としてのプライドがある人たちが、あの躍進でオーストラリア代表を見据えるようになりました。要は、自分と似たルーツの人がオーストラリアで活躍しているのを見て、サッカルーズ(オーストラリアのサッカー代表)に対するイメージがポジティブになったんです。それでAISが再認識されるようになって、オーストラリアの育成センターで名をはせてAリーグに行くのも悪くないと考える人が多くなりました。

 

「祖国依存」から「国内育成」へ。これからのオーストラリアサッカー教育

三上 この10年くらいで祖国に依存する育成スタイルも変わってきています。オーストラリアのサッカー協会(FFA)主導のエリート育成センターが結果を出してきています。13、14歳くらいの選手をピックアップして、首都のキャンベラにあるAIS(Australian Institute of Sport)という育成センターで2、3年くらい育てるんです。ポテンシャルが高い子はヨーロッパのチームに移籍したり、Aリーグのトップチームに移籍したりします。

例えるなら、JFAアカデミーに入った子が必ずJリーガーになれる、という感じです。日本だと抜きん出ないとプロのJ1リーグには行けないですよね。移民のコミュニティで成り立っているクラブにいる子達の才能が逃げないように、集約して作ったのがAISです。

ただ、それは1学年あたり10人くらいしか入れない狭き門です。協会の育成モデルにフィットしない子が入れずにヨーロッパに行き、結果的にAISより成長するケースもあります。AISの活動が拡大していくのはこれからですね。

 

ーー育成スタイルが変わってきているということなんですね。

三上 オーストラリアの育成方針はコロコロ変わるんですけど、最近も新しく変わったばかりです。我々コーチや選手は、それに翻弄されながらも指導やプレーしています。移民が多いためか、新しいことへのチャレンジにも、既存システムの切り捨てにも積極的。アップダウンは激しいけれど、常に変化があるのがオーストラリアの特徴です。当時NSLを盛り上げた移民も今や第3、第4世代まで進んでいるので、オーストラリア人らしくなってきました。僕と同年代の移民だと父や祖父と別の言葉で話すので、第2言語が話せる人が多かったですね。今の子達は、祖国の言葉は話せないし、そもそも祖国という認識がありません。日本にもそういうバックグラウンドの方はいると思いますけど、2、30年前と比べると祖国への意識が薄れるというか、日本人化してくるのかなと。

 

タイサッカーの現状。サッカー熱はあるが、教育とのリンクが課題に

ーー樋口さん、タイでのサッカー事情についてはどうですか?

樋口 タイにもプロリーグがあって、多くのタイ人がサッカーをしています。2011年にタイに渡ったときには、このことを知りませんでした。Jリーグにも現時点で5人タイ人選手がいます。タイ人はサッカー熱があって、サッカーが大好き。プレイヤーだけでなく、女性でも老人でも自分のお気に入りのクラブがあるくらいです。これは、タイ国内リーグではなく、プレミアリーグの影響ですけどね。

大槻 東南アジアは植民地になっていた国もありますが、タイはそのあたり関係していますか?

樋口 タイは植民地にはなっていないですね。ただ、プレミアリーグの影響がすごくあります。リバプールが優勝した時は多くのファンがお祝い投稿をして、SNSがとても盛り上がっていました。サッカーが一番メジャーなんですが、サッカー(スポーツ)と教育がつながっていないなとタイでは感じます。大人にとってはサッカーは娯楽。賭け事をしている人もいます。子どもにとっては教育はどうでもよくて、1つの大会で勝って賞金を得ることが目的になっています。だからスポーツと教育は離れているのが現状です。

 

ーー日本も含めて外国からの指導者が入ってきていると思いますが、タイのサッカーはレベルが上がっていますか?

樋口 そうですね。大きな要因の一つは、Jリーグの情報が入るようになったことです。タイ人選手がJリーグでプレーするようになって、タイでもJリーグの試合が放送されるようになりました。それで「日本のサッカーすごいな」となって、日本の指導者を積極的に雇うようになった、というのが大きいと思います。

ただ、試合は表面でしかなくて、日本選手は裏で血のにじむような練習をしているわけです。それを知らないタイ人が多いですね。それで、実際に日本の指導者がタイで同じことをやろうとすると、「思ってたのとちょっと違うな」と感じることが多いようです。文化の違いなんですが、そういう反発みたいなものはありましたね。

 

ーー逆に、日本選手がタイでプレーしていることもありますよね?

樋口 そうですね。2011年にタイに渡った時から、ピーク時で64人の日本人選手がタイの1~3部リーグでプレーしていました。タイのリーグ情報が日本にも流れるようになって、「俺も花を咲かせよう」という人が多くなったのだと思います。僕も日本ではプロ選手になれませんでしたが、縁があって、タイでプロ選手になれました。だから、そういう情報を聞いて渡ってくる選手は多いですね。

 

ーー樋口さんにとって、タイから見る日本の良さは何でしょうか?

樋口 やっぱり時間通りに物事が進むということですね。タイだと、電車やバスに時刻表がなくて。試合も平気で10分遅れたり、レフェリーが来なかったりします。遅れて当たり前みたいな感覚なんです。2011年に初めてタイに来た時、「練習給」っていう給料があって驚きました。練習に出ると給料がもらえるんです。それぐらいやらないと、時間通りに来ないから(笑)。だから、日本のきっちりしたところは素晴らしいなと思います。その一方で、たとえレフェリーが来なくても試合はやるといった、タイ人の適応力には毎回びっくりさせられています。日本人はもともと農耕民族で、冬に向けて備えたりしないといけないから、きっちりする。でもタイは、常夏で食べるものは一年を通してある。だから、あまり時間を気にしないタイ人が多いのかなと思います。

――後編に続く――

PROFILE

みかみ・りんいち
三菱養和SCユース出身。大学卒業後、生まれ故郷のオーストラリアを拠点に現地2部リーグで選手として活躍。競技活動と並行してサッカー指導を始め、現在はAリーグ・ブリスベンロアーFCのアカデミーコーチ、ニューファームユナイテッドSCのテクニカルディレクター、クイーンズランドライオンズFCのNPLコーチに従事。2012年に創設した豪侍アカデミーも併せてオーストラリアの選手育成に奔走している。ブリスベンロアーFCアカデミーコーチ。
おおつき・くにお
三菱養和SCジュニアユース~ユース、国士館大学サッカー部へ進む。卒業後、横河武蔵野FCなどでプレー。選手生活と並行して国士舘大学大学院スポーツシステム研究科修士課程を経て、現在は、三菱養和SCユースヘッドコーチを務めている。中学校・高等学校教諭一種免許状を持ち、サッカーをサッカーだけで切り取らずに多角的なアプローチで選手を教育し育てることに定評がある。
ひぐち・だいき
熊本県出身。福岡大学卒業後、JFLでアマチュア選手としてプレー。それでもプロになる夢を諦めきれず、2011年にタイヘ渡り、8年間プロサッカー選手として活躍。2018年に現役を退き、そのままタイでコーチ業をスタートさせた。現在はチェンライ・ユナイテッドのアシスタントコーチとしてアジアチャンピオンズリーグを戦う。
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