かつて高校サッカー選手権通算16得点を挙げた時代のヒーローは、プロでの挫折、度重なるケガを克服しながらも16年間の選手生活を全うし、現在は指導者として活躍している。彼を支えた和の精神、枯れることのないサッカーへ探究心について迫る。(※2022年7月に収録)
目次
今でも心に残る布監督からの言葉
──千葉県の名門・市立船橋高校の一員として3年連続で冬の高校サッカー選手権大会に出場し、1年次と3年次にはチームを日本一に導く活躍を見せました。当時はどのようにサッカーに向き合っていましたか?
「Jリーグが開幕した中学2年の時から『プロになる』という夢と目標を決めていました。プロ選手ならこうするだろうという仮説のもと、食事であったり、練習の意識や意欲を持つようにしていました。プロになるためにどうするかを逆算した結果、進学したのが市立船橋高校でした。千葉県から全国高校サッカー選手権に出るためにもっとも近い位置にあったこと、そして一番は布啓一郎監督(当時)から『君はダイヤの原石だ。ただし磨かなくてはただの石ころで光り輝くことはない。その手伝いを俺にさせてほしい』と言われたことでした。ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)ユースからの誘いも受けていましたが、布さんの生き方や考え方に付いていこうと思ったんです。今でも覚えているくらい刺さった言葉でした」
──3年次はキャプテンを務め、選手権得点王(大会通算16得点)となりチームを日本一に導きました。
「当時の市船は僕よりもリーダーにふさわしいメンバーが周囲にたくさんいました。だから僕がリーダーシップで引っ張ったというより、吉川京輔(副キャプテン/コンサドーレ札幌などでプレー)や、チームをまとめられる選手がそれぞれの役割を担ってチームのパワーを最大限引き出していました。上からこうだ、と言うのではなく、皆と一緒になって困難を解決していく。市船サッカー部には「和以征技(わじせいぎ)」という言葉があって、『和をもって技を征す』という意味なのですが、仲間と一緒に物事をつくり上げていく精神は、今も大切にしています」
──プロ1年目には挫折を味わったそうですね。
「自信があることが悪い方向に出ていました。いいプレーができないことを理解しているのに、照れ隠しで練習をしっかりやらなかったり……。当時柏レイソルのサテライトチームの監督だった池谷友良さんが『キタジは逆境に立つと弱い。それではプロでは無理だ』と言われ、ハッとしたのを覚えています。信頼していたコーチにそんなことを言わせてしまう自分が情けなかったです」
──その後のブラジルでの短期留学が転機のきっかけになった?
「当時レイソルでは毎年のオフシーズンに二人くらいの若手をブラジルに短期留学に出していたんです。自分を変えるきっかけとして志願したんですが、ブラジルでの環境は日本では考えられないくらい劣悪なものでした。ユース年代の選手でもサッカーは練習ではなく“仕事”なんです。後にブラジル代表になるジュリオ・バチスタが紅白戦で僕とともにベンチにいた時、僕は外されて『ムカつくね』って感じで声をかけたんですけど、彼は『俺はここから絶対にのし上がる』とギラギラした目で言っていたんです。彼は数年でトップに駆け上がっていくのですが、結果が出ないから不貞腐れるなんて姿勢は、本当にダサいことだと気付かされました」
偉そうにせず、一緒に成長していく関係性を構築すること
──帰国後はレイソルのエースとして日本代表にも選出されました。その後、J2に降格した若手主体のチームの精神的支柱としてJ1昇格に導きましたが、チームメイトへの声がけやモチベーションアップのために努力したことは?
「市船のときと一緒です。偉そうにしないこと。若い選手たちからいろんなものを学び、自分の知ってることも伝えながら、一緒に成長していく関係性を構築できたと思います。12歳くらい下の選手たちからサッカーを教えてもらうような環境で、チームのみんなが尊重し合う空気ができていました」
──2013年に現役を引退され、16年間プロ生活を続けられた要因はどこにあったと思いますか?
「超シンプルですけど、サッカーが好きで好きでしょうがないからです。 僕は肩も含めればケガで9回も手術をしてるんですけど、どんなにボロボロになっても続けられたのは、サッカーをしない自分が考えられないほど、サッカーが好きだからです。遠くの未来を考えるのでなく、目の前にある山を登り続けた結果、長く現役生活が送れたのだと思っています」
──引退後は指導者の道を進まれましたが、目指している指導者像などはありますか?
「僕にとってはそれを表現するのが難しくて……。引退したときにセカンドキャリアを考えましたが、サッカーボールを蹴る音、芝生の感触、そういったものから離れるのが怖かったんです。現役の頃からサッカーを追求する、という旅をずっと続けて、今指導者という立場にいるだけで……。仲間と一緒に目標を達成していくことが自分の喜びであり、楽しみなんです。指導者が選手より立場が上だとか、そんなことは全然なくて、一緒になって問題を解決して乗り越えていけることが僕の指導者像です」
子どもからは駆け引きの楽しさ、喜びを引き出したい
──大宮アルディージャのコーチである傍ら、出身地の習志野市でキタジサッカースクールを立ち上げられました。
「子ども達にサッカーを楽しんでほしいというのが一番です。ドイツで生まれたエクササイズ『ライフキネティック』を導入して、子どもの好奇心をくすぐりながら、子どもたちが視野を広げられるような取り組みをしています。相手をだまして逆をつくことの楽しさ、駆け引きの楽しさ、そういう喜びを引き出していけたらと思っています」
──北嶋さんには4人のお子さん(長男・大学生、次男・高校生、長女・中学生、次女・小学生)がいらっしゃいますが、サッカーについて指導することはありますか?
「大学生の長男と高校生の次男がサッカーをやっていますが、何かを聞かれたときだけ答えるようにしています。僕からこうすべきだ、などと言うことはありません。チームを信頼して息子を預けているので、その指導に対して僕が何か意見をいうことは絶対にしないようにしています。そこは線を引いていますね。僕の父がそういうスタンスだったので、影響を受けているのかもしれません」
──スポーツから得られるチカラとは何だと思われますか?
「困難に立ち上がる人がいて、それを見ることができるのかスポーツのチカラだと思います。立ち上がれた人は強くなれるし、見た人は何かのエネルギーをもらえる。もし立ち上がれなくても、その悔しさが今後の力になる。それこそ僕はサッカーでそれを経験させてもらったと思っています」
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PROFILE
- 北嶋秀朗(大宮アルディージャ・ヘッドコーチ/元日本代表)
- 1978年生まれ。千葉県出身。市立船橋高校で1年次から3年連続で高校サッカー選手権で活躍し、大会通算16得点、2回の優勝を果たす。柏レイソルで得点王争いに絡む活躍を見せ、アジアカップで日本代表に招集される。清水エスパルスを経て、古巣・柏のJ1昇格に貢献。2013年ロアッソ熊本で現役を引退。現在は大宮アルディージャのヘッドコーチ、KITAJI SOCCER SCHOOLを主宰し、指導者として活躍中。
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