Bリーグ2021-22シーズンの最優秀新人賞を獲得し、日本代表でもアウトサイドからの鋭いシュートで存在感を発揮している西田優大。徳島県南部の雄大な自然に囲まれた環境で育った西田は、どのようにして日本を代表するスコアラーへと成長したのだろうか。三兄弟すべてが日本トップクラスのバスケ選手という「西田家」の育成環境、どんな状況であってもコツコツと前進を続けた継続力に迫る。
目次
産まれて初めて思い通りにバスケができなかった代表合宿
──徳島県南部の海部群海陽町で育った西田選手ですが、お父さん(徳島県社会人リーグの海部パイレーツに所属)の影響からバスケを始めたそうですね?
「本格的にバスケを始める前からお父さんの試合にずっとついて行っていました。試合に行けばチームの人とボールで遊んでもらっていたし、家にはバスケットゴールもあったので、気づけばバスケをしていたという感じです」
──プロを目指したのはいつ頃から?
「中学を卒業する前にU16日本代表の合宿に参加させていたのがきっかけだと思います。
小学生から本格にバスケを初めて、試合でシュート決めるのが楽しみで、毎日がむしゃらになってシュート練習をしていました。ただ楽しくてバスケをやっていただけで、全国大会の出場経験もないし、プロを目指そうなんて思ってもなかったです。しかし全国クラスの選手とプレーをして、人生で初めて思い通りにバスケができませんでした。もちろん、ハイレベルなプレーができることに楽しさも感じましたが、「このままでは厳しい」という記憶が残っています」
──課題が出てきたことで挫折するのでなく、むしろ高いレベルでの環境を望むようになった?
「周囲の後押しも大きかったですね。U16日本代表になったことで中学校のクラスメートたちがすごく喜んでくれました。僕のために催し物を開催してくれたり、すごく応援してくれているのを感じましたね。さらに上へ、もっと上手くなりたいと思いました」
継続すれば結果につながることを実体験から理解している
──名門の福岡大付属大濠高校で課題を乗り越えるために努力したことは?
「高校から親元を離れて福岡で生活することになり、孤独になることもありました。一人だけで頑張れるものでもないし、(練習に)ついていけなくなった時期もありました。でも、二人部屋の寮で一緒だった友だちと励まし合いながら、少しずつ乗り越えていったという感じです。親から離れたことで、簡単に甘えられない環境で過ごしたことは、自分にとっても一つ成長できた部分でもあるかと思います」
──集団スポーツは、周りのプレッシャーとか、周りの波長に合わせるか色々苦労もあると思います。強豪チームであればなおさらだと思いますが、西田選手が心掛けていたことは?
「自分はマイペースだと思っていますが、すごく影響されやすい性格でもあります。周囲に上手い人や、頑張っている人がいたら、それに感化されて『僕も頑張ろう!』とスイッチが入ります。ただ、それによってオーバートレーニングになることはなく、自分のペースでやり続けることができるのが自分の強みだと思っています」
──コツコツやるタイプだと?
「そうですね。急に何か始めたり、プレースタイルをガラッと変えたりするのはあんまり好きじゃないです。小学生の頃は家にあるバスケットゴールに10本連続でシュートを決めてから、毎日の練習に行っていました」
──その積み上げが今のスリーポイントシュートの精確性につながっていると。
「それは分からないですが(笑)、続けてきてよかったと思います。ちゃんと継続してやれば結果につながることを実体験で理解している部分もあると思います」
人生観を豊かにしてくれた陸川監督の教え
──東海大学バスケ部の陸川章監督から多くの影響を受けたそうですね。
「東海大学はディフェンスを重視して、全員で走るバスケスタイルを標榜しているのですが、僕は大濠高校時代までディフェンスがすごく苦手で……。僕の得意な部分はシュートなのですが、では調子が悪い時に選手として何ができるのかと。例え自分のシュートが入らなくても、相手にシュートを決めさせなければ負けることはない。得意な部分でうまく行かなくても、他のところで頑張れるところがある。そうやって、東海大に入学してから少しずつディフェンス力を身につけることができました」
──捉え方次第で取り組みも変わると?
「そうですね。プロになった今でも、それ(ディフェンス)があるから、シュートが入らない時でも、プレータイムを与えられているのだと思います」
──陸川監督からの「心の山を登りなさい」という教えで、西田選手がその山を登るために一番努力したことは?
「山には『心の山』と『技術の山』があるのですが、リク(陸川)さんはたくさんの本を読まれていて、良い言葉を見つけたら僕ら選手に共有してくださるんです。ジョン・ウッデン(バスケの選手、ヘッドコーチの両部門で殿堂入りした初の人物)は『成功の定義』の中で、「“成功”とは最高の自分を目指し努力した過程によって生まれる心の平和」と示唆しています。結果よりプロセスを大事にするという考えに、自分はハッとさせられました。これは今も常に意識していることで、すべての試合において、準備段階をすごく大切にしています」
──取り組んだ過程によって心の成長が幸福度になるということですね。
「そういった格言をたくさん教えていただきました。あとはジェイコブ・リース(ジャーナリスト、写真家、社会改革論者)の言葉で、石切工が100回槌(つち)で打っても割れなかった石を、101回目で割ったとします。でも、それは101回目の一撃で割ったのではなく、100回コツコツと打ち続けてきたから割れた、という意味が込められているそうです。これも先ほど言った『継続力』を示唆する内容なのですが、すごく感銘を受けました。今は自分の中に信念となるものを持てるように意識して頑張るようにしています」
周囲に流されず何が自分に合っているかを知る能力
──技術と心の両面において、大学で多くを学ばれたということですね。プロになった時にレベルの違いを感じたりはしましたか?
「大学生の頃から日本代表の練習に参加させてもらい、Bリーグの特別指定選手契約の制度(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)で3年生の頃からプレーした経験がったので、怖さというものはなかったです。どちらかというと、自分の実力をちゃんと出せる、フィットできるチームに行こうと思って、最初のチーム(新潟アルビレックスBB)と契約しました」
──自分を客観視した上でのプロの選択だったのですね。西田選手にとってバスケの素晴らしさを子どもに伝えるとすると?
「僕は日本代表の試合を見に行って夢をもらいましたが、まだ僕が子どもたちにバスケを通して何かを伝える、与えられるかといったらまだまだだと思います。ただ純粋に楽しむ心を忘れずにバスケをしてほしいと思いますね」
──プロを目指すために必要を思われることは?
「誰だって壁にぶち当たるときは来ます。その時に周囲の色んな意見を聞くことになると思います。まず、聞き入れることはすごく重要ですが、そこから何が自分に合っているかを判断していくことが重要だと思います。実践しても結果が出なかったり、自分に合わなければ違うことを試してみることも重要です。僕は影響されやすい性格ですが、自分なりに整理はできていると思います」
「聞くこと」が身に付いた家族のコミュニケーション
──西田選手は3兄弟で皆が日本トップクラスのバスケ選手です。西田選手が所属するシーホース三河のHPのプロフィール欄のアンケートには「一緒にプレーしたい選手」という質問の回答が「弟」と書かれていましたね。
「僕のことを尊敬する選手として挙げてくれているみたいですね(笑)。僕ら3人兄弟は小・中・高(海陽町立海陽中学校、福岡大付属大濠高校、東海大学)と同じ道を歩んできました。僕が東海大学4年生の頃、次男(公陽)が1年生で、少しだけプレーした経験がありますが、三男(陽成)とは一緒のチームでプレーする機会はありませんでした。いずれ、それぞれがプロになった時に対戦したい気持ちもあるし、三人が同じチームでプレーするのも楽しみにしています」
──弟二人が同じ道を歩まれているように、長兄である優大選手の影響は大きいみたいですね。
「弟は僕と違ってすごく真面目で頑張るタイプ。二人とも僕の失敗も含めて見ているから、いいところだけ吸い取りながら頑張っているんだと思います(笑)」
──3兄弟ともにバスケを続けられているのが素晴らしいことですよね。そこは環境をつくってくれたご両親の影響が大きい?
「(社会人リーグで活躍した)父の影響はもちろん、母はプレーヤーではないですが、ずっと僕を小さい時から見ていてくれました。だからシュートが入らないときは、普段とここが違うよって気づいてくれます。すごく感謝をしていますね」
──ご家族でのコミュニケーションが自然と取れる環境なのでしょうか。
「家族のLINEグループがあるんです。家はキュウリ農家なので収穫の報告がきたり、犬と散歩している動画が上がったり(笑)。今は兄弟それぞれが別に活動しているので、毎日何かしらの報告でLINEグループは動いてます。すごくいい家庭環境だと言ってくれる方も多くて、これは当たり前じゃないんだと気づかされますね」
──人の話しをまずは聞き入れるという姿勢は、そういった家庭環境から培われたのかもしれませんね。
「僕にとって父は怖い存在でもありました。でも今振り返ってみると、両親が与えてくれたこれらの環境があったからこそ、今の自分があるのだと思います。感謝しています」
──今後の目標について教えてください。
「選手としては日本代表でもっと中心として活躍できるような選手になりたいです。時代の趨勢として日本バスケ界も世界がどんどん近くなっているので、サッカーのカタールワールドカップが盛り上がったように、もっと上を目指してバスケを盛り上げたいです。大きな目標としては影響力のある人になりたいですね。後輩と話している時にリクさんからいただいた言葉をかけたくなる時がよくあります。でも、これを今の僕が言っても響かないだろうなって。いずれは、リクさんみないに影響力のある人になれるように、経験も知識も積み上げていきたいです」
PROFILE
- 西田優大(シーホース三河/バスケットボール男子日本代表)
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1999年3月13日生まれ、徳島県海部郡海陽町出身。社会人リーグでプレーした父の影響からバスケを始める。中学3年次にU16日本代表の合宿に選出され、福岡大学附属大濠高校に進学。インターハイ優勝、ウィンターカップ準優勝に貢献しU18アジア選手権大会に日本代表として出場。東海大学では全日本選手権優勝、優秀選手賞を受賞し、名古屋ダイヤモンドドルフィンズと特別指定選手契約。新潟アルビレックスBBと正式契約し、21年に移籍したシーホース三河ではシーズン新人賞を受賞。精確なアウトサイドシュートを武器に、日本代表の中心選手として活躍が期待される。190cm。
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