フランスの名門・マルセイユで不動の右サイドバックの地位を確立した酒井宏樹。ダイナミックなプレースタイルとは対照的に、穏やかな性格で知られる彼は、日本代表のなかでも異色の存在だ。「上には上がいる」サッカーの世界で、彼はどのようにして今のポジションに上り詰めたのだろうか。(2020年10月収録)
写真/NIKE
「何百回も辞めたい」と思ったアカデミー時代を支えたもの
──酒井選手がサッカーを始めたのは、いつ、どんなきっかけでしたか?
「正確な年齢は覚えていませんが、2人の兄と父親がサッカーしていて、その数合わせで加わったのがきっかけです。それで、気づいたらボールを蹴っていましたね。スポーツ好きな家族で、野球をやることも良くありました」
──中学時代には柏レイソルのアカデミーに入ってますよね。この時にはサッカーでプロを目指したいという意識はあったんですか?
「そうですね。レイソルに入る前は、自分はサッカーが上手いと思っていました。それで、ヨーロッパに行って活躍するんだと思っていて。でも、レイソルに入ってからは全く違う世界で、本当にびっくりしました。練習がすごくハードで、アカデミー以外で練習する余裕もありませんでした。自分が思ったプレーができず、試合に絡めない日々が続きました。だから、辞めたいと思ったことは何百回もあります。追い込まれた時期ですね」
──それでも、辞めずに続けようと思ったのはなぜですか?
「仲間に恵まれていたからです。周りの人に引っ張ってもらいました。練習仲間としても、ライバルとしても、ともに向上できる人の存在は大きかったですね。あとは、場面にも恵まれたというか、辞めたいと思っても次の日に上手くいったりして。やっぱりサッカー楽しいな、もうちょっと続けようかなって。へこんで、起き上がって、その繰り返しでしたね」
──壁を乗り越えられた要因は?
「自分を信じ続けたことですね。将来ヨーロッパでプレーするんだ、という目標があったから、どんなにきつくても壁を乗り越えようと思えたんです。奇跡に期待するより、一歩一歩努力し続けることが大事だと思います。そうすれば自分自身も納得できるし、きっと周りも評価してくれるんじゃないかなと」
大事にしたのは「プライド」よりも「頑固さ」
──勉強の方はどうでしたか?
「家族がみんな頭が良かったので、勉強は頑張ってました。僕だけうまくいきませんでしたけど(笑)。年齢にかかわらず、勉強することは大事だと思います。もし僕の息子がサッカーしたいと言ったら、勉強と両立させるよう徹底しますね」
──ご家族はどんな風にサポートしてくれましたか?
「家族はサッカー好きですが、あまり多くのことを僕には言わなかったですね。静かに見守ってくれた感じです。辞めたいと相談したことはありませんが、感じ取っていたとは思いますね。サッカーが好きだから負けたくない、ということも」
──仲間とはサッカー以外での付き合いはあったんですか?
「そういう時間もあって、楽しかったですね。本当に当時は仲間に恵まれていて、貴重な存在でした。それに、サッカーへの意識が高いグループだったんです。もしそうじゃなかったら、自分もサッカー以外の方向に流れていたかもしれない。みんなのサッカーに対するモチベーションが高かったから頑張れたんだと思います」
──やはり仲間の存在は大事ですよね。流されやすい性格なんですか?
「そうですね。ご存知の通り、リーダーシップをとるような性格ではありません(笑)。自分を分析すると、プライドはありませんが、頑固だとは思います。プライドにしがみついていたら、泥臭いプレーもできませんし。日常生活ではそうでもありませんが、ことサッカーに関してはかなり負けず嫌いだと思います。そこが今もサッカーを続けていられる要因かもしれません」
名門マルセイユで順応するためのコミュニケーション力とポジショニング戦略
──酒井選手はレベルの高い環境でも常に順応してますよね。コミュニケーションの重要性は海外で改めて感じますか?
「チームメイトやスタッフとのコミュニケーションは大事ですね。あとは、自分のテクニックを活かしてチームに貢献することです。サッカーに関しては僕より上手い人は山ほどいます。でも、それ以外にピッチで僕が貢献できることがあります。僕がサッカーが特に上手くないからこそ、つねに自分が貢献できるところを探すようにしていますね」
──そもそも海外でコミュニケーションを取ること自体が難しいと思いますが、何か秘訣はありますか?
「プライドをどれだけ低く設定できるかですね。それによって潜り込んでいけますし。実際僕は、サッカー選手の肩書があっても、人付き合いはかなり下手に出て親切に接します。そうすると、それ以上に返してくれるので。まずは人としてしっかりした対応力を身に付けることが第一歩かと思います。日本人、外国人に関わらず、普通に今まで通りに接することが大事ですね」
──チームメイトからはどう呼ばれているんですか?
「人によりますが、ヒロキが多いですね。でもHを発音できなくて、サカイと呼ぶ人も結構います」
──フランスで生活されてますが、言葉はどうですか?
「頑張ってはいますが、フランス語は難しいです。記者会見で流暢に喋れる自信はありませんが、チームメイトと日々の会話はフランス語です。でも、僕よりしゃべれる人は沢山いますよ。川島永嗣選手とか、すごい言葉数で尊敬します」
──長友佑都選手がガラタサライから加入されましたね。
「すごくポジティブな人です。僕まで巻き込んでポジティブな気持ちにさせてくれるので、チームの雰囲気もさらに良くなったと思います。影響力のある人だと思います」
──海外の選手や指導者で影響を受けた人はいますか?
「そんなに気にしてはいませんが、誰かがゴール決めたとか、活躍したというニュースは刺激になります」
──道具に対するこだわりはありますか?
「スパイクのサプライヤーであるNIKEさんとは毎回コミュニケーションを取っていて、問題点があったら修正してもらうことはあります。といっても修正は頻繁ではありませんし、こだわりというほどでもありませんけどね。あとは、練習後はスパイクに芝などつくので、1回1回水洗いします。予備は一応一足ありますが、基本的には練習用と試合用の一足ずつだけを使い続けますね」
──街で歩いていると声を掛けられることはありますか?
「ありますよ。日本人だからというのもあってか、すぐ気づかれます」
重圧と戦うメンタル術は「我慢のキャパを広げること」
──子どものころに描いていた夢と現実に、違いはありますか?
「ヨーロッパでプレーするというのは、もっとキラキラしているものだと思っていました。実際は、すごい重圧の中でやらないといけませんし、ステージが上がるほど苦しいことも多くあります。良い所で戦っているなって思っている方も多いかもしれませんが、僕本人としては苦しいことが多くて必死です」
──必死な姿が我々にとってはキラキラしていてかっこいいな、って感じますよ。
「そう思っていただけるのは嬉しいですね!」
──メンタル面は大きな要素ですよね。世界で戦う中で、どうやって強いメンタルを維持していますか?
「いや、自分でメンタルが強いとは思っていません。今も耐えるというか、我慢するキャパシティを大きくしているだけです。日本人としてフランスで働かせてもらっている身分なので、やっぱり我慢する部分は多いですし。その中で、ストレスを感じないように結果を出していくしかないですね。それでも結果が出ないときは、家族が支えてくれるので感謝しています。そして、家族経由ですが日本で応援してくださる方々の声も聞こえてきます。いいニュースを届けたいなって、前向きな気持ちになれますね」
海外の子どもたちが早熟なのはサッカーが文化だから
──コロナ禍によりなかなか日本に帰って来られないとは思いますが、現在のフランスの状況はどうですか?
「特にマルセイユとパリはレッドゾーンで、感染者が増えていますね。またいつ外出禁止になるか分からない状況です」
──そんな中シーズン開幕して、マルセイユVSパリ・サンジェルマン戦が行われましたね。見事マルセイユが1-0で勝利を収めましたが、ネイマール選手とのマッチアップはいかがでしたか?
「必死でした(笑)。何回も崩されましたし、あれだけ強い選手なので一人で止めるのは不可能でした。でも、チームメイトとうまく連携して0失点に抑えられて良かったですね」
──今シーズン、無観客試合でのプレーについてはどう感じていますか?
「変な感じはしますが、この状況に対応しなくちゃと思ってプレーしています。まあ、特にホームでの試合はお客さんがいてくださった方がテンションが上がりますね。逆にアウェイの試合では無観客試合が続けてほしいです(笑)。無観客でプレーしてみて、サッカーを観戦することが、フランスの文化として根付いていたんだなと改めて感じました」
──海外ジュニアのサッカーはどう見ていますか?
「すごく大人だなと思います。あの年代でシミュレーション(相手のファールに見せかけること)することもあるんです。あと細かいですが、カウンターされそうな危ない場面では足引っ張ってそこで止めちゃうとか、戦術面がすごいですね。年齢は分かりませんが、たまに見る小さな子達がそういうプレーをし始めてるんですよ。それで、文化なんだなあと」
──ジュニアでシミュレーションは驚きですね。ご自身でシミュレーションの対策はありますか?
「いや、ありませんね(笑)。シミュレーションさせないくらい綺麗にボールを取るしかないですね。スライディングしなくちゃいけない状況になる前に、ボールを取れるように心がけています」
負けず嫌いであることが海外で戦い続ける理由
──流されやすい、すぐ辞めたいと思うような性格と言われてきましたが、現在、こうして世界のトップレベルで続けられるメンタルはどのように培われたんでしょうか?
「最終的にはやっぱりサッカーに対する負けず嫌いなところだと思います。そのまま辞めたり、レベルを落としたりすると、自分に負けたことになってしまうので。いつも『もう少しだけ頑張ってみよう』という気持ちでやっています。そうすると、いい結果になることが多いですね。でも子どもの時は今とは違って、親や周りの人から知らないうちに支えられていたのが大きかったんだと思います」
──最後になりますが、サッカーを頑張る子ども達、応援する多くのファンの方々に一言、メッセージをお聞かせください。
「大人になると、苦しいときもあります。でも、ジュニア時代に経験した楽しい思い出が、そんな時に打ち克てる唯一の秘訣です。だから、ジュニア世代の子どもには、とにかく今は好きなサッカーを精一杯楽しんでほしいと思います。自分より上手い人を見つけて、頑張ってください。また、親御さんのサポートも必要不可欠です。静かに、でも熱く、見守っていただければ子どもも成長できると思います」
PROFILE
- 酒井宏樹
- 1990年4月12日生まれ、長野県中野市出身。中学1年生から柏レイソルのアカデミーでプレー。後に多数のプロ昇格選手を輩出した柏レイソルU-18で、海外でも多数の試合を経験した。プロ昇格後、2011年のFIFA クラブワールドカップでのブレイクにより翌年から欧州を主戦場とする。16 年にフランスのマルセイユに移籍し、レギュラーとして活躍中。
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