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山中亮平│ラグビーから培われる自発力

名門チームから日本代表、そして自国開催のワールドカップで活躍。そんな華々しい経歴の裏にはさまざまな挫折を乗り越えた過去がある。ラグビー日本代表の山中選手が、競技を通して培わった「自ら動き出すチカラ」とは?

自らが選択したラグビーとの出会い

──山中選手にとってラグビーとの出会いはいつ頃から?

 

「ラグビーを始めたのは中学2年生からです。それまでサッカー部に所属していたんですが、隣のグラウンドで練習をしていたラグビー部がすごく楽しそうに見えて……。さらにラグビー部の顧問の先生から誘われたのがきっかけですね。ラグビーがどんなルールで、どんなスポーツから知らなかったのですが、みんな笑顔で楽しそうなのに惹かれました。それに比べて……」

 

──サッカー部の練習は厳しかった?

 

「そうですね。練習の最初に200メートルのグラウンドを25周も走らされるんです。いきなり5キロの練習って……、もうしんどいじゃないですか(苦笑)。中学では本格的にスポーツをやるというより、ラグビーという競技を楽しんでやることができたので良かったと思っています」

 

──サッカーが悪いラグビーが良いの話ではなく、山中選手が自分で判断し行動していたのが印象的です。

 

「ラグビー部を見たときの魅力というか、そちらに惹かれましたね」

 

──実際にラグビーをやってみていかがでしたか?

 

「楽しかったですよ。新鮮でしたね、今までやったことのないスポーツでしたから。楽しんでやりながらも、中学では大阪府で2位まで強くなり、オール大阪選抜にも選出されるまで成長できました。そうなると、もっと上の景色が見たくなり、東海大仰星高校という強豪校に進学しました。そこで、楽しいだけじゃないラグビーの奥深さを知りました。ラグビーってこんなに頭を使うんだって、考えてプレーしないといけないんだっていうふうに気づかされました。もっともっと上を目指したいなって」

 

──ラグビーの奥深さとは?

 

「東海大仰星高校は理論があって、ラグビーの戦術がしっかりしているチームだったので、ラグビーの難しさだったり勉強することが多かったです。それでも土井(崇司)監督(当時)からは好きなようにやらせてもらいました。 ラグビーのことで怒られることはほぼなかったですね。後々聞いたらやっぱり土井監督は僕の性格を分かってくれていたみたいで、僕は注意されると伸び伸びやれずにプレーの幅が狭まるタイプと思ってくれていたみたいです。自分の好きなようにプレーできることが、高校生の僕にとってはベストだったんだと思います」

 

──土井監督は山中選手の性格を把握してくれていたのでしょうね。

 

「おそらくその頃の僕だったら、厳しく指導されていたらラグビー部を辞めている可能性だってあったと思うんです。 そこは東海大仰星高校で土井監督に師事して本当によかったと思います」

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「思考する選手」を育む指導者の教え

──その後は名門・早稲田大学ラグビー蹴球部に進学されました。

 

「早稲田大学の中竹(竜二)監督(当時)も選手に考えさせる指導をしていただく方でした。『監督が言ったからやれ』ではなくて、選手が考えて意見したことに対して監督も『じゃあ(選手の意見に沿って)そうしよう』って方向性を一つにしてくれるような存在でした。選手が自律して考え、行動することで人間としてすごく成長できる場だったと思っています」

 

──選手が主体的に動くことは楽しかった?

 

「そうですね。大学までは選手同志でそこまで奥深くコミュニケーションを取ることもなかったので、ラグビーというスポーツがより楽しくなりましたね。 選手が考えたことがうまくハマった時は、やっぱり自分たちで『やった!』っていう達成感があったし、ダメだった時はなぜダメだったのかを話し合いました。中竹監督はそれを受けて補完して導いてくれる存在でした」

 

──ラグビーという競技は選手主導のイメージがあります。

 

「僕が所属してきたチームはそういう(選手主導)傾向にあったと思います。日本代表もそうですし。最終的に監督が方向性を示してくれたら選手としては一番やりやすいですよね。選手たちの意見もしっかり取り入れてくれて、そこでうまく全員が同じ方向に進んでいければ、選手もそうですし、監督もんやりやすいんじゃないかと思います。 監督だけの意見を通され、選手が疑問を抱えたままプレーしてもうまくいかないと思います。もちろん監督を信じることができればいいですが、信じれない時だってあると思うんです。そういう時に完全なトップダウン型は軌道修正ができない。監督が選手の意見をしっかり取り入れてくれて、意見交換していくことはすごく大事だと思います」

 

──日本代表もボトムアップ型ということですか?

 

「そうですね。ゲームプランだったり戦術は基本的に監督、コーチがやりますけど、細かいところは選手間でしっかりと話し合います。それを話し合った上で何人かのリーダーが監督にこういう意見が出ているっていうのをコーチ陣たちに伝えて『じゃあ練習も一回変更してみようか』となる。今、日本代表はすごくいい環境だと思います」

 

──リーグワンでもそういうチームが多い?

 

「多いと思います。選手間でのコミュニケーションだったり、強いチームっていうのは、基本的にそこはしっかりしています」

 

──ちなみにラグビーではリーダーが複数存在するのですか?

 

「例えばコベルコ神戸スティーラーズ神戸ではキャプテン、バイスキャプテンがいて、7名ほどのリーダーがいます。 監督と選手の間をつなぐ存在です。日本代表は特にリーダー陣が毎日のようにミーティングをしています。監督がリーダーに言って、リーダーが選手に伝える。そして現場で選手とリーダーたちで話したことを再び監督に上げて意見交換をする。そういう間を取り持つのがリーダー陣の役割ですね」

 

──山中選手もリーダーの一角を担っている?

 

「リーダーをやってる時期もありましたけど、僕はあまり役割に縛られたくないタイプなんですよね(笑)」

 

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逆境を支えた自己効力向上の源

 

──山中選手は子どもの頃から自主的に行動するタイプだった?

 

「自分勝手なだけやったと思いますけどね(笑)。昔は好きなようにやってただけなんで。中学生の時はすごい自信があって、大阪選抜に選ばれたりしてちょっと調子に乗っていました。だから高校1年生になって、壁にぶち当たったというか。天狗になっていた鼻を完全に折れましたね。もう難しすぎて『こんなにラグビーって難しいんだ』って。こんなに戦術とかプランがあるんだと、頭がパンクしそうでした」

 

──それでも心が折られなかったのは土井監督の存在があったから?

 

「そうでしょうね。土井先生が『日本代表にしてやる』って言って僕を誘ってくれたんで、その言葉を信じてやろうと思っていました。僕は高校3年生までレギュラーになれなかったんです。1年生の時はメンバーにすら入らなかったですし、高校2年生の時はリザーブでベンチで温めてました。でも土井先生はすごくポジティブなことを言ってくれたので、根っこにある自信はなくならなかったですね。だからやってこれたのだと思います」

 

──山中選手の努力を土井監督は見てくれていたのではないでしょうか?

 

「見てくれていたと思います。でも、高1とかはちょっと練習をサボったりする時もありました。それでも土井先生は何も言わなかったですね。『ちゃんと練習に来い!』と言われたら嫌になっていたかもしれないですけど、いずれちゃんとやるのが分かっていたんだと思います。僕じゃない選手だったら厳しく言っていたのかもしれませんが」

 

──指導者として自発を促していたのかもしれませんね。

 

「その通りだと思います。土井先生は自分は『監督の前にイチ教師』であり、人として人間性をどれだけ成長させられるかが一番の役割だと言っていました」

 

子どもが意欲的になれる環境づくり

 

──これまでいくつもの夢を達成されてきたと思いますが、今の目標設定は?

 

「僕は目の前のことを大事にしようと考えています。来年、ワールドカップあがりますけど、まずは秋に日本代表戦があるので、そこで結果を出すこと。そこでベストのパフォーマンスをすることに集中してます。中学、高校、大学と変わらず目標設定をしてそこに向かっていくことを続けてきたので、それは日本代表になった今も昔からやってきたのが活きているのだと思います」

 

──これまで挫折も経験されてきたと思いますが、諦めてもおかしくない状況下で踏ん張れたのはなぜだったと思いますか?

 

「ラグビーが好きだっていうのが一番ですかね。僕にはラグビーしかなかったし、楽しんでやってたので辞めるという選択肢は結局出てこないですよね。無理やなとか、しんどいな、とか何度も思いましたけど、辞めようと思ったことは一回もないです。そもそも好きなことを辞める必要なんてないですしね」

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──子どもたちにはラグビーからどんなことを学んでほしいと思いますか?

 

「まずは楽しんでやってほしいですよね。ルールがわからなくてもできると思いますし、ラグビーに触れるだけでも『楽しい』っていう気持ちになってくれれば、そのあとも続けていけると思います。だから指導者の方たちも子どもたちに楽しんでもらえるやり方はまだたくさんあると思います。もちろん厳しく指導することも大事ですけど、そこはバランスをとりながら。僕の子どももラグビーをやっていますが、どんどんラグビーが好きになっています。そうなると、もっと上手くなりたいっていう向上心が芽生えてくると思うんです。そういうのは、やっぱりスポーツをやっていないと体感できないことだと思うんですよね」

 

──最近はディスカッションが苦手な子どもが多いと聞きます。

 

「ラグビーはコミュニケーションを取ることが特に大事なスポーツです。高校も大学もそうでしたが、集団のなかでしゃべる人間って、やっぱり限られてくるじゃないですか。 そこを上手く、みんながしゃべれるような環境にできればチームはもっと強くなります」

 

──社会でも共通する話ですね。

 

「一人ひとりの考え方は違います。『それは違う』と思った時に自分の意見をしっかり言えるような環境というのがすごく大事だと思います。それは間違いだ決めつけるのではなく、そういう意見もあると受け止めること。各々が理解し合える環境が整っていれば、そこから意見交換をして一つの方向に全員が進んでいけるようになると思います」

 

──最後に子どもを指導する指導者に向けてメッセージをお願いします。

 

「伸び伸びとやらせてあげてほしいですね。僕もそうでしたが、子どもは褒められた方がドンドンやりたい、もっとうまくなりたいと思うんですよね。大人になるほど困難な状況に直面するのに、小学生ぐらいの時から「もう嫌や」と思われて続けるのもしんどいじゃないですか。どんどん調子に乗らした方がいいです。厳しいだけじゃなくて子どもが意欲的になれるような環境作りがすごく大事だと思います」

PROFILE

山中亮平(ラグビー日本代表/コベルコ神戸スティーラーズ)
1988年6月22日生まれ、大阪府出身。中学生からラグビーをはじめ、東海大仰星高校で3年次に全国高校大会優勝。早稲田大学では副将を務め、大学生ながら日本代表にも選ばれた。2013年に神戸製鋼に入団。2015年、ラグビーワールドカップ2015のバックアップメンバーに選出され、同年12月にはサンウルブズの2016年スコッドに選ばれた。2019年、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出され、全5試合に出場し、初の8強入りに貢献した。

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