ビジネスの戦略決定や市場分析のほか、政治など多分野で応用される「ゲーム理論」を専門に、アメリカの名門大学で教鞭をとる鎌田雄一郎氏。社会において複数の人や組織が意思決定を行う場合に、どのような行動が取られるかを予測する「ゲーム理論」のスペシャリストは、トップアスリートの思考をどう解析するのだろうか。「bizFESTA」にて、 WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太選手と対談した鎌田氏。若き天才ゲーム理論家が、たった一度の対談を基に<王者の意思決定>に至るメカニズムを複合的な視点でひもといていく。
本分とアウトプットのタイムマネージメント
村田選手にアウトリーチ活動の位置付けを尋ねたところ、彼にとってYouTubeチャンネルは、「SNSのような感覚」とのことだった。自分の考えを発信したり対談をして様々な考え方を引き出したりする場であり、視聴者に「いい影響を与えられれば」 と思って取り組んでいる。
しかし、だからと言って、情報発信は決して自分のメインではない。パフォーマンスの向上を目的にして発信しているのではないのだ。競技に影響が出るようなメディアの露出の仕方などは全くするつもりはない。ただ発信自体にネガティブ要素はないので、線引きをしっかりした上で、競技や後進のためになるようなことならばやることにしている。ボクシングの練習にできるだけ時間を使い、余った時間でアウトリーチ活動をしている、とのことだった。
こういったスタンスは、至極当たり前に聞こえるかもしれない。しかし、この「本分とアウトプットのプライオリタイズ(優先順位づけ)」は実は難しいことである。村田選手自身も、2018年ブラント戦第1戦の前はボクシングの練習以外の仕事が忙しく、集中し切れていなかったと話す。これと同じ轍は踏まないように、今はタイムマネージメントに気をつけているとのことだった。
私も、一般向けの本を出版してから(もちろん村田選手とは程度が違うだろうが、)取材や記事の執筆の依頼が増え、ぼうっとしていると研究の時間が削られてしまっている。
似たようなことは実はどんな大学教授にもある。つい熱心に学生の相手をしたり授業の準備を入念過ぎるほどしたりしてしまうと(そしてアカデミアには、面倒見のいい、少なくとも面倒見良くあろうとする教授が多いのだ)、本分である研究が疎かになってしまう。だから自分で「本分であること」と「本分でないこと」を明確に分け、意識的にタイムマネージメントをしないといけない。
この「タイムマネージメントの重要性」は何も、スポーツ選手や大学教授に限った話ではない。読者の皆さんも自身のことに置き換えて考えてみてほしい。
読者の方の多くは、複数のタスクを同時並行でこなすビジネスパーソンであるだろう。もちろん全てのタスクに目一杯時間と労力を使えればいいが、我々にとって、時間も労力も、有限である。ではどのタスクに優先して時間と労力を使うべきか。プライオリティーをしっかり決めておかないと、結局何も得られずに終わってしまう。
特に、人のためになるアウトプット(たとえば、後輩社員の教育)は素晴らしいことだが、人のためばかりになってもいられない。
「自分はなぜアウトプットを任されているのか? それは、自分が本分とするタスクをしっかりとこなせるからだ」
ということを忘れないようにしないと、本分である自身のタスクを十分にこなせず、結局そのうち教育も任されなくなる。

2018年10月20日、ラスベガスで行われたWBA世界ミドル王座防衛戦にて同級3位のロブ・ブラントに敗れた村田選手。多忙により本分であるボクシング以外の時間に追われたことが敗因の一つだったと述懐 / Getty Images
アウトプットの副産物
本分であるボクシングとそうでないアウトプットの間の適切なタイムマネージメントを当たり前にこなす村田選手はさすがだが、彼はそれだけでは終わらない。アウトプットをすることが自分自身について考えるきっかけとなり、それが結果として自分にとってプラスになることがあるというのだ。
たとえば、後進たちにボクシングの指導をしていると、自分の教えている内容を自分に当てはめることで、自分の動きについて気づきを得ることがある。 「人のふり見て我がふり直せ」というわけだ。
これは私も共感するところである。大学でもアウトプットが生きる経験があるからだ。
たとえば数年前に私はフリーミアム(商品のあるバージョンを無料で配り、より機能の高いバージョンを有料で売る)というビジネスモデルに関する論文をManagement Scienceという学術雑誌に掲載した。実はこれは、ドロップボックスというフリーミアムモデルを使う企業について授業を(ここだけの話、小声で言うと、嫌々)しなければならなかったのだが、その授業中に思いついたアイディアに基づいているのだ。アウトプットが期せずして本分に役立った例である。
さて、なぜアウトプットから学ぶことがあるのだろうか。それは、アウトプットをするには、自身が分かっていると思っていることを、他人も理解できるように整理し直して、言語化する必要があるからである。この過程で自分が分かっていると「思っていた」事柄を今まで考えたことのなかった視点から見つめることができ、それが発見につながるのだろう。しかも、第一稿でも述べたように、村田選手は「言語化するボクサー」である。だから、アウトプットからの気づきはお手の物なのだろう。
皆さんも、アウトプットをして、学んでほしい。でも、本分とアウトプットの間のタイムマネージメントは、忘れずに。
PROFILE
- 鎌田雄一郎(かまだ ゆういちろう) | カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院准教授
- 2007年東京大学農学部卒業、2012年ハーバード大学経済学博士課程修了(Ph.D.)。イェール大学ポスドク研究員、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院助教授を経て、テニュア(終身在職権)取得、現在同校准教授。NTTリサーチサイエンティスト、東京大学大学院経済学研究科グローバル・フェローを兼任。専門は、ゲーム理論、政治経済学、マーケットデザイン、マーケティング。著書に『ゲーム理論入門の入門』(岩波新書)、『16歳からのはじめてのゲーム理論』(ダイヤモンド社)
【若き天才ゲーム理論課家による至高の意思決定/鎌田雄一郎~back number~】
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