【スポーツ成長法則 vol.3<前編>好きより得意で勝負! 受験とビジネスで使える「勝ちパターン」/石倉秀明

PROFILE

いしくら・ひであき
株式会社リクルートHRマーケティング入社後、求人広告の営業から事業企画、営業企画などを経験。2009年当時5名の株式会社リブセンスに転職し、事業責任者として東証マザーズ史上最年少上場に貢献。DeNAのEC事業本部で営業責任者ののち、新規事業、採用責任者などを歴任し、2016年より株式会社キャスター取締役COO。

スポーツは健康などフィジカルな面だけでなく、自己肯定感、論理思考、やりぬくチカラなど人生を生き抜く力に結びつく。しかし、その結びつきを解像度高く語れる人は少ない。そこで、幅広い分野で活躍するビジネスパーソンに、スポーツが持つ「人を育むチカラ」について聞いていく「スポーツ成長法則」。第3回は、株式会社キャスター取締役COO ⽯倉秀明さんです。

文=鶴岡優子(@tsuruoka_yuko

初の著書『コミュ⼒なんていらない 人間関係がラクになる空気を読まない仕事術』 (マガジンハウス)が話題の経営者だが、小学校から大学卒業までスポーツづけの毎日であったことはあまり知られていない。著書の中で自身のことを「コミュ障」「パニック障害」であると告白している石倉さんが、スポーツの経験を通して見つけた「勝ちパターン」でどう人生を乗り切ってきたのか。前後編にわたってお届けする。

 

「コミュ力」がなくても仕事とスポーツは上手くいく 

コロナ禍でリモートで働くことが一般的になってきた。しかし、6年前からほぼ全従業員がリモートワークという株式会社キャスターで、取締役COOとして事業を牽引しているのが⽯倉秀明さんだ。企業の秘書、人事、経理など管理部門の仕事をリモートで対応する「CASTER BIZ」の他、自分の得意なことの募集を探したり、自ら応募したりできる「bosyu」を運営している。「bosyu」では、例えばサッカーでリフティングが得意で教えたい人と、子どもにサッカーを教えたい親をマッチングする、いわば「仕事のメルカリ」といったサービスだ。

革新的なサービスを打ち出しているキャスターの経営者としては意外だが、「人見知りで、対面のコミュニケーションが苦手」と語る。しかし、小学生の頃は少年野球で活躍し、中学、高校時代は陸上部で、高3の時にはインターハイに出場した経験を持つスポーツマンだ。子どもの頃からスポーツで繰り返し試してきた思考回路、行動パターンは、大学受験、ビジネスでも役に立ったと言う。いわば、それが石倉さんの「勝ちパターン」なのだが、そのキーワードになるのが「勝負できる場を選ぶ」「好きなことより得意なことをやる」「自己決定する」の3つだ。

 

「4番」「エース」を選ばない。活躍の場を探す子ども時代

小学校時代、少年野球チームに入っていた石倉さんは、身長が低く、走るのは速くない子どもだったそうだ。身体があまり強くないこともあり、週2で水泳に通っていた。おじいちゃん子で、祖父の影響で巨人ファンになった。巨人ファンと言っても、当時人気だった原辰徳選手やクロマティ選手より、バントが得意だった川相昌弘選手が好きな子どもだった。「その人の技があるからそのポジションがある、ちょっと渋い職人のような選手が好きだった」と当時を振り返る。

同じ少年野球チームにプロ選手になるような強い子がいたこともあり、「4番」「エース」を狙っていては自分の出番がないと気づいた。川相選手の影響で、バッティングセンターではバントの練習ばかりしていた。守備は上手かった。「4番は無理でも1番、2番はとれる」と考えた。小学生でバントでミスをしない、守備でエラーをしない、というのは貴重な存在だからだ。

水泳に関しても同じ発想で、種目はバタフライを選んだ。小学生でバタフライを選ぶ子どもは少ない。競技人口が少ない種目を選ぶことで、自分が活躍できる可能性が一気に高まる。「自分自身にスポーツの特別な才能を感じたことはない。自分が活躍できる場所を常に探す子どもだった。でも、そのおかげで野球ではレギュラーを外されたことはないし、スポーツを苦手に感じたこともなかった」(石倉氏)。

ビジネスでも同じで、全員が4番でエースだったら試合は成立しない。「ポジションにこだわるより試合で成果を出す方を選んだ方が、結果としてやりたいことにたどり着くのが早い」という。

 

「4番でエース」は狙わなかったという少年野球チーム時代の石倉さん。活躍できる場所にこだわった結果、レギュラーを外されたこともなかったという。

相手を力ませて勝つ。そのために最初の30mを鍛え上げる

家庭の経済的な事情で、遠征費用などを考えると野球を続けるのは難しかった。それで、中学校に入ると陸上を選択した。選んだのは100m、200mの短距離。短距離ならば才能ではなく努力で勝てると考えたからだ。マラソンで活躍する選手の心拍数は低く1回で運べる血液の量が多いと聞き、そうした身体能力は鍛えてもどうにもならないと悟った。短距離走は、「スタート」「加速」「中間疾走」「フィニッシュ」と4つに分解される。例えば、ウサイン・ボルトは中間疾走でスピードが上がり、カール・ルイスはフィニッシュでもスピードが落ちない。自身の身体と能力を考えて、「短距離の世界で勝つためにはスタートから30mまでが勝負」と考えた。

持ちタイムではかなわなくても、レース本番は着順で上回ればいい。タイムで1番になるのは無理でも、最初の30mをトップで走ることができれば、相手を焦らせ力ませることができる。タイムがいい選手ほど、他の選手の背中を見て走った経験が少ないからだ。焦ると上体があがり、余計な力が入りストライドが短くなり、トップスピードに乗りにくくなる。自分なりに考えて思いついた作戦だった。また、当時注目されていた朝原宣治選手を見て、フォームを徹底的の真似した。高校に行っても陸上を続け、結果、高3でインターハイまでいくことができた。

小学校の野球でも中高の陸上でも成果が出せたのは、できないことを考えるのではなく、「どうやったら勝てるか」から逆算して考えたからだった。

 

受験は一点突破。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科へ進学

高校3年の夏まで陸上の部活に打ち込んだため、受験勉強を始めるのが遅かった。田舎を出て東京に行くことだけは決めていた。東京のどの大学を受けるかを考えたとき、興味を持てたのはスポーツだけだった。そこで、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を選択した。過去問で試験の傾向を掴み、受験に出そうな部分を集中的に勉強した。この1校のみしか受験せず、センター試験も受けなかった。限られた受験勉強の中で、自分が勝負できる場所を選ぶ。スポーツで学んだパターンは、大学受験でも石倉さんを合格に導いた。

入学後はスポーツ生理学を選考し、運動、食事の違いによって疲労回復がどうかわるかを調べた。実習では富士登山で食事や歩行道具の違いによって疲労がどう変わるか、標高ごとに血液を採取して調べたりしたそうだ。スポーツビジネス、スポーツチーム経営、オリンピック、商業スポーツなど、どれも面白い学びだったが、就職先としてスポーツビジネスを選ぶことはなかった。当時、スポーツ業界は働く場として待遇も良くなく、魅力的に感じなかったからだ。学生時代に手伝った外資系スポーツメーカーでの仕事は刺激ではあったが、英語が必須条件だったのと、数年間新卒採用を実施しておらず、これも選択肢から除外した。

しかし、卒業まであと数単位という大学3年の時、石倉さんは大学を退学をすることを決意する。学費のためアルバイトで働きすぎて、身体を壊してしまったからだ。「身体を壊してまで働いて、大学を続けてなんの意味があるのか」と悩んだ結果、大学を退学し働くことを決意した。

――後編につづく――

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