COLUMN

【スポーツ成長法則 vol.2】<前編>チームを非連続的な成長に導く 「らしく、生きる」哲学/嵜本晋輔

PROFILE

さきもと・しんすけ
1982年、大阪府出身。関西大学第一高校卒業後、Jリーグ「ガンバ大阪」へ入団するも、3年で戦力外通告を受ける。引退後、父が経営していたリサイクルショップで経営のノウハウを学び、2011年、株式会社SOU(現バリュエンスホールディングス株式会社)を設立し、同代表取締役に就任。2018年3月には東証マザーズへの株式上場を達成させる。
一方で、アスリートやスポーツの可能性を広げるべくFAN AND株式会社(現 DUAL CAREER株式会社)を2019年9月に設立。現在はサポートや寄付等を目的としたオークション「HATTRICK」をはじめ、元Jリーガーで現在は香港リーグ3部監督を務める井川祐輔らのマネジメントを行うなど、アスリートたちのデュアルキャリアを支える取組みを進めている。

スポーツは健康などフィジカルな面だけでなく、自己肯定感、論理思考、やりぬくチカラなど人生を生き抜く力に結びつく。しかし、その結びつきを解像度高く語れる人は少ない。そこで、幅広い分野で活躍するビジネスパーソンに、スポーツが持つ「人を育むチカラ」について聞いていく「スポーツ成長法則」。第2回目は、Jリーグの選手経験者で初めて上場企業の社長となった、バリュエンスホールディングス代表取締役社長 嵜本晋輔氏に話を聞いた。

文=鶴岡優子(@tsuruoka_yuko

 

引退から17年。今は現役のシリアルアントレプレナー

インタビュー当日、白いTシャツ姿で颯爽と現れた嵜本さんの背後には、ガラス張りの会議室越しにスタイリッシュなオフィスが広がっていた。品川の高層ビルにあるバリュエンスグループ(以下、バリュエンス)は、時計やバッグなど高級ブランド品の買取りを行うリユース事業を主として急成長中の企業だ。ユーザーはLINE、Webサイト、紹介を通じ、
全国に70店舗以上展開するブランド店舗買取専門店「なんぼや」、予約もできる買取専門店「ブランドコンシェル」で買取りをしてもらう。若者を中心に支持を集め、ニューヨーク、パリ、ロンドン、香港、シンガポールの海外拠点も含めると約500名を越す従業員がいる。

バリュエンスを創業7年でスピード上場させた嵜本さんが、「元Jリーガーのセカンドキャリア」の成功例としてメディアに取り上げられることは多い。しかし、その成功は嵜本さんの人生のほんの一瞬を切り取っただけにすぎない。22歳の若さでサッカーを引退後、父親、二人の兄と家電リサイクル、焼きたてチーズタルト「PABLO(パブロ)」など複数の事業に挑戦。7年後に独立し、リユース事業に特化した株式会社SOU(現:バリュエンス)、アスリートを支援するデュアルキャリア株式会社を経営する現役のシリアルアントレプレナー(連続起業家)なのだ。

 

深い内省から「らしく、生きる」が哲学に

予想に反し、嵜本さんがインタビュー冒頭で語ったのは厳しい一言だった。「一人ひとりにカスタマイズした価値を提供していくことができなければ、今後の成長はない。」その表情は成功者ではなく、あくまでも挑戦者の顔だ。嵜本さんによると、一人ひとりというのはお客さまのことだけでなく、嵜本さん自身、また、バリュエンスの仲間に対してのメッセージだという。

「幸せ、豊かさとは何かを徹底的に考えてみた結果、それは自分自身が自分らしく生きている時、そしてそれが仲間に認めてもらえている時だと気づいた。しかし、私自身、肩書きに縛られたり、本来の自分の輝きを見失っていると思う時があるし、社員も人にどう見られるかを意識しすぎてしまっていることがある。これは企業からすればパフォーマンスが出しきれていない分、機会損失でもある。まずは社員から「らしく、生きる」人を増やし、事業を通じてお客さまも、さらにその周囲の方々も「らしく、生きる」ことができれば、社会を幸せに、豊かにできると考えている」(嵜本氏)。

嵜本さんが目指す経営は、社員一人ひとりが「らしく、生きる」こと。自分らしさを仕事で発揮して、お互いに補完し合うチームになること。その思いはそのままバリュエンスのミッション「らしく、生きる。」となり、同社の理念として力強く掲げられている。

 

10競技×10人=100名のアスリートを募集した理由

「らしく、生きる」経営の一つとして開始したのが、10競技×10人、合計100名のアスリートを募集する「アスリートのためのデュアルキャリア採用」だ。自分の能力、個性を理解し活躍しているアスリートは「らしく、生きる人」の代表例。しかし、同社のリサーチでは仕事と競技の両立に悩み、競技に専念できていないアスリートは少なくないという。

デュアルキャリア採用は、アスリートが働く勤務地と時間を個別相談できる。仕事内容は、買取店舗でのお客さまとの商談、東京・大阪のオフィスでのカスタマーサポート、商品管理など、働く人の能力と個性に合わせてマッチングする。アスリートは仕事と競技を両立できるようになり、バリュエンス側は優秀な人材の確保につながる。また、この施策の裏テーマとして、アスリートから既存社員が刺激を受け社内が活性化されることをねらっている。募集開始約1週間で、国内外の10名を超えるアスリートから問い合わせが来ているそうだ。

「野球選手の年収は平均3,000万円とも言われているが、サッカーの場合、J1のスタメンでない限り多くの人が年収500万円に満たない。長年プロを夢見てやってきても、これではあまりにも夢がないし、セカンドキャリアという言葉もネガティブな印象がある。アスリートの価値をもっと高めていきたい」(嵜本氏)。

 

子どもの意思決定には「比較対象」を見せる

嵜本さんがサッカーと出会ったのは小学校4年生のとき。3兄弟の末っ子だった嵜本さんは、母親のすすめで次兄と水泳と体操を始めた。しかし、1、2年続けても楽しさを感じれない。そんな時に、体操クラブがサッカークラブを創設することになり、次兄と一緒に自らサッカーをやりたいと志願した。体操も水泳も個人競技。嵜本さんがサッカーに「どハマり」したのは、喜びを分かち合うスポーツだったから。サッカーがフィットすると気づいたのは、水泳と体操という比較対象があってこそだった。

土日はなると父親は確実に休暇を取り、家族の時間を大切にしてくれた。嵜本さんが5年生になると、両親そろって毎週のようにサッカーの試合を観に来てくれた。Jリーグがスタートし地元にガンバ大阪が誕生すると、嵜本さんの将来の夢はJリーガーになった。嵜本さんの夢をかなえるため、父親がサッカーで有名な中学、高校への進学をリードしてくれた。

父親に高校サッカー選手権に連れて行かれ、関大一高の試合を一緒に観た。「どうや?」と聞く父親に、「ここで勝負したい」と答えた。「今思えば、大学まである関大一高に入れたかった父親の戦略通りで上手いなーと思う。でも、こうして自分があるのは間違いなく両親のおかげなので、感謝しかない」(嵜本氏)。
子どもが納得感を持った意思決定を自分でするために、親は比較対象を見せて選択肢を増やすことが大事だと語る。

 

Jリーガーになって3年で戦力外通告

関大一高では自分のプレースタイルを追求した。チームを見渡し「サイドアタッカーであれば自分が引き立つ」とわかってからは、サイドから切り込んでシュートを打つ技を磨いた。その結果、ガンバ大阪のスカウトの目に留まり、憧れだったJリーガーになることができた。嵜本さんが19歳の春だ。

小学校から努力を重ね、やっとたどり着いたガンバ大阪。しかし、プロサッカー選手になって3年目、嵜本さんに戦力外通告が言い渡される。

「プロにはなれたが、結果的にはアマチュア選手のようだった。練習に向かう姿勢、時間の使い方など、給料をいただく職業としてのアスリートではなく、高校の延長のような感じだった。パフォーマンスが下がると視野が狭くなり、保守的になってしまったり、試合ではミスを恐れて、シュートを打つべきところを逃げでパスを出してしまうことが多かった。負のスパイラルだった」(嵜本氏)。

当時の嵜本さんにとって、戦力外通告は人生で大きな「挫折」だった。サッカー選手であることをすぐにはあきらめきれなかった。サッカー選手としてのプライドもあった。トライアウトを受け、プロサッカー選手であり続ける道を必死で探した。ガンバ大阪退団後、当時Jリーグより格下だったJFLリーグの佐川急便大阪SCへ環境を変えた。しかし、JFLでも活躍ができない日々が続いた。そこでようやく自分の実力を客観的に見つめ直し、佐川に入り3ヶ月で引退を決意する。嵜本さんが22歳の時、高校の同級生が大学を卒業し社会に出る年だった。

ーー後編に続くーー

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