スポーツが人を育む力について聞いていく「スポーツ成長法則」。第6回目は、書道家で高校教師でもある栗原 正峰(くりはら・せいほう)さんです。部活動の現場で多くの生徒を見守ってきた栗原さんが考えるスポーツが人を育む力、挑戦と挫折、これからの夢について話を聴きました。後編はプロバスケットボール選手飯島康夫さんとの出会いから始まります。
文=鶴岡優子(@tsuruoka_yuko)
目次
金髪ピアスの生徒から「先生、俺プロになりたい」
次に赴任した埼玉県の公立高校も、栗原にとっては手強い学校だった。
野球部には既に別の顧問がいたため、バスケ部の顧問となった。しかし当時3年生だった部員は、栗原の指導をボイコットした。部活の指導ができない中、栗原に声をかけてきた2年生がたった一人だけいた。それが現在、プロバスケットボール選手として活躍している飯島康夫選手だった。
高校に入学した当時の飯島康夫選手は、成績は5段階評価の「1」ばかり。警察署のお世話になることもあり自暴自棄になりかけていた。それでも「バスケでプロになりたい」と話す飯島に、「人間性があってはじめて、スポーツ選手としても一流になれる」と、挨拶や礼儀から指導した。それから、金髪・ピアスだった飯島はネクタイを締め制服をきちんと着るようになった。成績は4、5が多くなっていった。バスケも技術力が上がり、飯島は埼玉選抜に選ばれた。その後大学へも進学。千葉県の国体県選抜に選ばれ、チームを日本一に導くまでに成長する。
現在UTSUNOMIYA BREX.EXEでプレーする飯島(左)と栗原
教師としての挫折が書の道へ
バスケ部の顧問をしていた頃、実は栗原は壁にぶつかっていた。
以前の学校の野球部では、甲子園に出場した経験が部員の心をつかみ、厳しい指導についてきてくれていた。しかし、バスケ部となると甲子園の経験は部員の心に響かない。指導方法に行き詰まりを感じ、自身と向き合うために再開したのが書道だった。
「書道家だった祖父は私が1歳の時に亡くなり、直接祖父から教わることはなかったですが、床の間にあった祖父の掛け軸を見ながら育ち、小1から小6まで親戚の書道の先生に習っていたんです。少年野球に夢中になりやめてしまったのですが、どこかで書は意識に残っていました」
再開してしばらくは手本となる字を書いていたが、あるとき創作書道という分野に出会い道が開けた。栗原の書は、現代の漢字ではなく、漢字の原形である中国殷・周時代の甲骨文字と金文を題材にすることが多い。古代文字の美しさをいかしながらも、文字の形から解き放たれた墨が生命感に溢れ、見る人の心を惹きつける。
「体と心を書に集中させて、心のままに筆をたたき、筆をひねる。やっているうちに夢中になり、30代半ばには自分だけの筆の個性を確立できるようになりました」
俺は世界を目指さなくていいのか?
栗原の書を世界に広めるきっかけを作ったのは、教え子である飯島康夫だった。
大学で日本一になった飯島は、ある日、栗原の元を訪れる。「世界を目指したい、世界最高峰リーグNBAに行きたい」という夢を伝えに来たのだ。渡航費用の資金繰りが難航する飯島に、なんとかしたい栗原は最後の手段に出た。知り合いの住職に飯島の夢の話を伝えたところ、栗原の書と引き換えに110万円の寄付を申し出てくれたのだった。「康夫、これで渡米できるぞ!」と電話をかけた。
しかし世界を目指し旅立った飯島の背中を見て、栗原はある思いを抱く。
「教え子が世界を目指すのに、自分は何も挑戦しなくていいのかと思ったんです。一人でNBAという夢に向かっていく康夫を見ていたら、自分も世界を目指すべきじゃないかと。それで、私は世界で通じる書道家になろうと決意したんです」
どうしたら書道家になれるのかー。30半ばからの挑戦は険しいと自覚はしていたが、とにかく調べて行動に移した。フランスの芸術展覧会サロン・ドートンヌ、ル・サロンに出展し、銀座の個展にもチャレンジした。資金的にはハードルが高く、家族にも心配をかけた。
「無謀だったのかもしれませんが、不思議と私の作品を気にいって、話を聴いてくださる方とのよい出会いがあったんです。そうしたご縁をきっかけに、少しずつです作品を飾ってくださる方が増えていきました」
栗原の個展にて
熱血指導だけでは通じない時代。「聴く力」で生徒と向き合う
現在、栗原は公立高校で教師を続けながら、ソフトテニス部の顧問をしている。
時代とともに、栗原は自身の指導スタイルを大きく変化させてきた。20年前は通じた厳しい熱血指導だが、現代においてはそれだけでは通じない。栗原が重視するのは、生徒を見つめる目とコミュニケーションだ。学校での日常生活の中で、生徒一人ひとりの話を聴く時間を大事にし、勉強や部活のことに限らず、友人関係、恋愛、家族のことなど、なんでも話を聴くようにしている。話を聴き続けているうちに、生徒の方から相談ごとを持ちかけてくるようになるという。
部活では生徒の自主性を引き出すために、なんども質問を繰り返すという。ソフトテニスのキャプテンが持ってくる活動計画に、なぜこれが必要なのか、どうしてやりたいのかと、問い続ける。栗原自身はソフトテニスの経験はないものの、ソフトテニス部は徐々に試合でも勝てるようになっていった。また、部活に限らず、生徒会など学校生活でリーダーシップを発揮するようになってきたという。
夢はスポーツと芸術の学校を作ること
40代になった栗原は、ある限界と戦う決意を固めた。
「このまま続けても、自分の教え子にしか伝えることができないなと限界を感じたんです。教育現場の負担はますます大きくなっています。進路や保護者との関係など、教師へのプレッシャーが高まる中で、部活の指導、生徒の話を聴く余裕は減っています」
「自分のように教えられる先生ばかりじゃない現実を、どう変えたらいいかー。それで、自分は教師を育てる教師になろう、と考えるようになりました。大学で教師を指導できるようになるには、博士号が必要です。今は、博士号取得のために、専門の農業、造園の分野で研究論文を必死に書いています」
教師や書道家を続けながら、研究論文を書くのは1年に1、2本が限界。博士号を取得し大学の教壇に立つには、あと数年はかかるかもしれない。
しかし、栗原の顔と声はあくまでも明るい。
「人生で大切なことの多くをスポーツから教わってきました。自分を深く見つめる力、俯瞰してものを見る力。心で人と会話することの大切さ。試合に勝つ勝たないよりも、挑戦して、理不尽さも含めた厳しさを知ること。苦労をともに味わった仲間の存在。走る、投げる、打つというスポーツの技術ではなく、生きるための力を蓄えることで、人生の突破力を高めてくれると考えています」
栗原は現在、いせさき教育アンバサダーとして、「夢」「心」をテーマに講演活動も行っている。「夢が叶うか、叶わないかではなく、夢を持ち追いかけることが大切」と子どもに伝えている。
そんな栗原自身の次の夢は、「スポーツと芸術の学校を作ること」だという。
「世界で活躍する、豊かな人間性を育む、人間教育を重視した専門学校やスクールを作りたいです。スポーツ・芸術は世界共通。人間的に優れた人材が世界で活躍すれば、子どもたちがまねをし、人間的に優れた人材が育つと考えています。子どもたちに影響を与えやすいのもスポーツ・芸術だと思っています」
また、栗原は自分自身のことを「夢を応援する教育者」でありたいと話す。
「書道、農業、スポーツ、デザインの活動で培った経験、ご縁を生徒に還元するようにしています。それぞれの業界で一流と言われる方の考え方や言葉を生徒に還元しています。スポーツだけでは偏った考え方にもなりますし、視野も狭くなります。ですので指導者・教育者はさまざまなことに挑戦する必要がある、と思っています。
自分も夢を追っていますが、夢を本気で追っていない人間に『無理だからやめておけ』と言われても、生徒には気にするなと伝えています。いつまでも生徒の夢を全力で応援しつづける教育者でありたいです」
栗原はこれからも夢を追いかけて、全力ダッシュで駆け抜けていくだろう。
書道家 栗原 正峰さんが考えるスポーツの「人を育む力」とはー
“ひとつにしぼるなら「チームワーク」。自分自身、チームメイト、相手チームと向き合いコミュニケーションする中で、相手を思いやる心、敬う心、助ける心などたくさんの心が育まれる。この心の動きが周りを幸せにし、自分も幸せに導いてくれる ”
PROFILE
- 栗原正峰(くりはら せいほう)
- 書道家。教育者。 書とアートが入り混じる独自の世界観が高い評価を受け、フランスの芸術展覧会サロン・ドートンヌ、ル・サロンで入選するなど国内外で活躍する書道家。高校教員としては造園や森林について教鞭をとりながら、野球、バスケ、登山、ソフトテニスなどの部活動の顧問として部員を指導している。自身は野球の名門、東京農業大学第二高校で甲子園出場経験がある。いせさき教育アンバサダーとして「夢」「心」をテーマに講演を行うなど多彩な活動を行っている。
【スポーツ成長法則~back number~】
【#01】<前編>「利益も勝利も○○にすぎない」という生き方/野澤武史
【#02】<前編>チームを非連続的な成長に導く 「らしく、生きる」哲学/嵜本晋輔
【#03】<前編>好きより得意で勝負! 受験とビジネスで使える「勝ちパターン」/石倉秀明
【#04】〈前編〉脱・常識が強さの根源。理不尽なスポーツの世界で育つ「折れない力」/宮田 誠
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